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  • 12/2(月)〜12/5(木) クラフトバンド 特別ワークショップ開催

    2019年11月20日

    クラス時間内に素敵なかごバックを1つ製作するワークショップのご紹介。 講師はクラフトバンドの本も出版している松田先生で受講料は20ドル。 午前(9〜11am)/午後(12〜2pm)のそれぞれ2時間のクラス。 みんなでおしゃべりしながら楽しくクラスに参加することができる。 申込みは下記まで、希望日時と名前を伝えよう。 会場:M Lab LA(1327 Post Ave. Torrance)、CREA(3132 PCH Torrance)

  • 「パスの返し200%」 衣装スタイリスト/衣装製作 見留 小織 Saori Mitome  

    2019年10月16日 ロサンゼルスで暮らす人々

    映画やTVコマーシャル、TVシリーズ、ミュージックビデオ、バレエ団などの衣装スタイリスト・デザイン・製作を手がける見留小織さん。「毎回、そのプロジェクトに関われること、機会を与えられたことに感謝する」と話す(Webサイト:mitome-certifiedswag.com

  • クラフトバンドワークショップ 9/29、9/30、10/1、10/2

    2019年09月18日

    トーランスのM Lab LA(1327 Post Ave. #L Torrance CA 90501)で9月29日(日)、30日(月)、10月1日(火)、2日(水)の4日間、クラフトバンドワークショップが開催される。 午前クラス(10am~1pm)と夜クラス(6pm~9pm)の二部制。   クラス時間内にクラフトバンド1つを製作する。 時間が余った場合は$10追加でさらにもう1つ製作することができる。 講師は(株)M’s Factory代表取締役で(社)クラフトバンドエコロジー協会代表理事の松田裕美さん。 受講料は各回$20。 申込・問合せはメールまたは電話・テキストで下記連絡先まで。

  • 米国で目覚めた日本愛 夢は“逆輸入”映画作り   美術監督 チカコ・スズキ / Chikako Suzuki  

    2019年09月04日 ロサンゼルスで暮らす人々

    美術監督としてハリウッドで活躍するチカコ・スズキさん。エミー賞ノミネートはFacebookでたくさんのお祝いコメントをもらって知ったという。「まさかという感じだった」と振り返るが、「仕事のオファーが来るときにあれこれ聞かれることはなくなったけれど、生活自体は変わっていない」と話す

  • Weekly LALALA 対談シリーズ Eugene’s LIVE TALK 野村 祐人 × 鈴木 一真 「新たに湧き立つ役者魂」    

    2019年08月20日 らららトピック

    野村祐人:一真くんと出会ったのは1994年だから、もう25年前? 時が経つのは本当に早い!   鈴木一真:その頃、僕はモデルの仕事をしていて、俳優に転向しようと思い立ち、この先生から演技を学べば個性を伸ばせると評判を聞いて入門したのが奈良橋陽子さん主宰のUPS(アップス)アカデミーでした。それが祐人との出会いでした。   野村:僕が二十歳の時に主演した映画『800(はっぴゃく)』(94年)の廣木隆一監督の次の作品が、一真くんのデビュー映画作品『ゲレンデがとけるほど恋したい』でした。僕は廣木監督と仲が良かったというのもあってその作品には出演してないけど、打ち上げに呼ばれて一緒に飲んだのを覚えています。そこから一真くんは、日本で役者の道を歩んできたわけだけど、4年前には文化庁新進芸術家海外留学制度で渡米して、ロサンゼルスを拠点に活動をスタートしました。LAではどのような活動をしていたんですか?   鈴木:本格的に英語での演技の勉強をしたいと思って1年間文化庁のプログラムでLAに来ました。その1年はアクティングスクールで学んだり、劇団に所属してプロモーションや照明など舞台の手伝いや、真田広之さんやマシ・オカさんなどハリウッドで活躍する方々からお話を伺ったりもしました。また、ご縁があってファッションショーの演出も経験しました。   野村:LAをはじめハリウッドでの経験を日本のエンターテイメントに役立てようということですね。   鈴木:そうなんですけど、1年間の研修期間を終えてみて、まだまだ勉強が足りないなと感じました。役者としてはもちろんですが、この機会に徹底的に英語を学びたいと思いました。僕は高校を中退してこの世界に入ったので、これまでの自分の実績を論文にして高卒の資格を取得できる制度を利用し、サンタモニカカレッジに入学して勉強していたのですが、それでも足りなくて他のカレッジにトランスファーして卒業しました。   野村:その行動力はすごい! 年齢を重ねて、仕事やプライベートで忙しくしていたら、なかなか大学で学ぼうなんて本当に難しいと思う。   鈴木:アメリカの大学は若者だけじゃなくて、幅広い年齢の学生やいろんな国の学生がいるからすごく刺激をもらいましたね。それでもまだまだ英語力が伸びないから、卒業後は週に1、2本は様々なオーディションを受けたり、インディーズ映画やショートフィルムに出演して鍛えています。   野村:いやぁ、自分では気づいていないだけで、絶対に英語力は上がっているはず。英語で台本を読んだり、セリフを覚えたりするのは大変ですから。   鈴木:先日の撮影現場では、もちろん英語のセリフだったんですけど監督が日本語を混ぜた芝居を見てみたいと言ったんです。それを監督が気に入って、言葉は通じなくてもけっこう伝わってくるよって言ってました。僕も久々に日本語で芝居をして、新鮮で楽しかったな。   野村:いいね、なんか楽しんでる。   鈴木:いや、もがき苦しんでるかも(笑)。   野村:僕も今その苦しみをオーディションを受けたりして、感じてるところなんです。先日は映画のオーディションで統合失調症の人を演じた。すごく惜しいところまで行ったんですけど、受からなかった。でも今また自分の中でふつふつと役者魂が復活してきた感じなんです。ところで、一真くんはアメリカでオーディションを受けていますが、情報はどこから得ているんですか?   鈴木:大作はマネージャーから連絡が来ます。インディーズ作品はアクターズアクセスというウェブサイトがあるので毎日チェックしています。コマーシャルやモデルのオーディションは専門のエージェントからですね。   野村:アメリカでの仕事をしながら、日本の仕事はどのように? 僕もそうだけど、海外に住んでいると日本とのスケジューリングって難しいですよね。   鈴木:この1年ほどはこちらでオーディションをたくさん受けているので、日本からのオファーはほとんど受けられていないのが正直なところ。日本の所属事務所が理解してくれているのはとても感謝しています。   野村:今、ハリウッドではアジア系の役者の需要が上がっていて、アジア人の役が増えてきているんですよ。『Crazy RichAsians(邦題:クレイジー・リッチ!)』といったアジア人だけが出てくる作品がヒットしたり、日本人役も『ラストサムライ』から少しずつ注目されるようになった。以前は、日本人役を中国人の俳優が演じていたりしていたけど、だんだんモラル的、文化的にも見直されて、本物の作品を作るにはやはり日本人は日本人が演じた方がいいという傾向になっています。本当にグローバルになってきてちょうど変換の時だと思うけど、これから挑戦してみたい役柄とか作品とかありますか?   鈴木:最近アクロバットを習っていて、もっとバク転、バク中、トルネードなどを極めて、アクション映画にも挑戦してみたいですね。それともう一つは、僕には日系三世のはとこがLAにいるんです。彼らは70代で、僕が子供の頃から憧れていたファミリーなんですが、第二次大戦中の辛い経験を僕に話してくれました。彼らのような日本人の血が流れていながらアメリカで生まれ育ち、辛くも逞しく生き抜いた方々を広く伝えていきたいという思いがあります。   野村:僕は、自分がプロデュースを手掛けた映画『終戦のエンペラー』のプレミア試写会をLAで行った際に、日系アメリカ人の方もいらっしゃって、様々な厳しい意見をいただきました。日本人としてのアイデンティティ、そしてアメリカ人としてのアイデンティティの狭間ですごくジレンマのある方もたくさんいると思う。「戦争」というテーマ一つ取っても様々な見方がある。そこには葛藤や憎しみ、悲しみがあったり、だけど友情や人情みたいな温かいものも生まれていたかもしれない。物作りをする僕たちが、映画というフィルターを通して人々の人生や歴史を伝える代弁者になれればなとは思います。  

  • 映画『千年女優』全米公開 8/13(字幕)・8/19(吹き替え)

    2019年08月08日

    伝説的なアニメ監督兼漫画家、今敏氏の『千年女優』(第5回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞、第57回毎日映画コンクール大藤信郎賞、第6回ファンタジア映画祭最優秀アニメーション映画賞・芸術的革新賞、第33回シッチェス・カタロニア国際映画祭最優秀アジア映画作品賞)。   2002年の公開後も未だに語り継がれる名作がフルHDリマスターされ、劇場に戻ってくる!   今回は英語字幕に加え英語吹き替えが新たに製作され、全米の劇場にて字幕版は8月13日(火)、吹き替え版は8月19日(月)公開。   映画『千年女優』 fathomevents.com/events/millennium-actress

  • 世界の平和を願い伝える武士道精神

    2019年08月07日 ロサンゼルスで暮らす人々

    Peace Messenger 藤原 武蔵 / Fujiwarano Musashi

  • 「意外性の発見楽しい」 声優 星埜 李奈  / Rina Hoshino  

    2019年06月20日 ロサンゼルスで暮らす人々

     今年5月、人気アニメ『ポケットモンスター』シリーズを実写化した『Pokémon Detective Pikachu(名探偵ピカチュウ)』が全米で公開された。ハリウッドが製作したこの作品で、主要キャラクターの一つ、ミュウツーを演じるのが日本人声優であることはあまり知られていない。  「昔のミュウツーのバックストーリーを読みながらリサーチした」と振り返る星埜李奈さん。オーディション合格の知らせを受けたときは「布団をかぶって踊ってた」というほど喜んだ。 「武器として作られた力強いモンスターなのに、どうしたら共存していけるのかを考えるような哲学的ですてきなキャラ。そこを意識した」と役作りを明かす。最終的には男性声優とのブレンドした声になっており、「神々しく、中性的な部分と人を包み込むような感じ」というキャラクターに仕上がった。  中学校2年のときに家族で渡米。現地の学校へ転入したため、学校では苦労した。「ことばのせいで、自分が言いたいことを言いたいように言えないのがすごく嫌だった」。自信を喪失し、人に嫌われたくないという思いが強くなりトイレでランチを食べていたことも。すばらしい先生たちや友達に恵まれていたものの、英語で心の奥底を打ち明けられるようになるには4~5年かかった。 高校卒業後、ようやく大好きな演技に没頭できる機会が訪れる。LAの演技研究所で基本を学び、シーンスタディーや即興のクラスなどを通して、日本語と英語では違うピッチでしゃべる必要があることも知った。  卒業後は「母国をもう一度知るきっかけを作りたい」という思いから、日本で2年間活動。しかし「自分は日本人でもないし米国人でもない」と、アイデンティティーの確立に苦しんだ。 その後、カナダを経て再び米国へ戻ると、2009年にLAで一からの再スタートを切った。ここでは何もない状態で始め、50のエージェンシーに声のデモサンプルを送った。 はじめはなかなかオーディションに受からなかったが、音のテイクを聞き直す、スタジオを借りて歌の宣伝材料を録音するなど、積極的だが地味な作業を重ねるうち、ブッキングは増えていった。  声優は、ビデオゲームやアニメなど媒体によってしゃべりを変える必要があり、「その世界に入れる楽しさがある」とその魅力を語る。キャラクターになりきって演じていると「自分にこういう部分があったんだ」という意外性の発見があるのも面白いという。 「差別もあるし、悔しい思いもたくさんする。失敗も多いけど、赤っ恥をかいて這い上がるのが私」。 自信を失い、そして取り戻したこの国で、母国で創られた作品に携わる幸せは格別だ。

  • 人生切り拓いた決断力 映画プロデューサー キム・クデ / Koodae Kim  

    2019年03月14日 ロサンゼルスで暮らす人々

     人生には思い切った決断が必要となる瞬間が訪れる。その決断は果たして正しいのか。迷いながらも選択を迫られる。しかし、行動を起こさなければ何も変えられない。キム・クデさんはその決断力を備えた人生の開拓者。日本出身のバックグラウンドを生かし、共同製作をメインに映画プロデューサーとしてロサンゼルスで活躍する。  東映、松竹撮影所のある京都出身だ。「幼いころ『水戸黄門』の撮影を見て、本番が始まるとピリッとするのがかっこよく見えた」。何十人もの意識がカメラの前に集約する瞬間に惹かれ、映画に興味を持った。高校卒業後に渡米。コミュニティカレッジで授業を受けつつ学生映画の制作活動に携わっていたLAで、最初の大きな決断をする。卒業してもビザが取れず帰国していく先輩たちを見て「米国に残るには特殊能力が必要」と考え、ラスベガスの大学に転校し会計を専攻した。 卒業しLAに戻ると会計士として勤務。3年ほど経過したころに「興味本位で」映像翻訳を学び始めると、映画祭の手伝いがきっかけで再度映画作りを学ぶことを決意。6年間の会計士生活に別れを告げフィルムスクールに入るという、二度目の大きな決断を下した。  一見、回り道をしたように思えるクデさんの人生。だが振り返ってみればすべて今の活動の糧になっている。「会計をやってよかった。元会計士のプロデューサーというと信頼度が違う。バジェットの仕組みとワークフローがわかっているから自分で予算を組める。対人関係の構築、マネジメントは監査で培った観察力、リスクアセスメントによって身についた」。2度の大きな決断は「その時はわからなかったけど、今ではいい決断をしたと思っている」。自分の決断に責任を持てるのは自分だけ。そのため常に2、3歩下がって自分を第三者的に見るようにしているという。  本当にやりたいことはディレクティングだが、求められ、自身でも能力を発揮できると思うのはプロデュース。「結果が出ているし性格的にも向いている。制作現場ではエゴのぶつかり合いになることもあり、聞く耳を持たない人もいるけど自分にはそれがない。あくまで指標はいい作品を作ること。そこがブレない限りエゴはあまり生まれない。その姿勢を貫くと自分が尊敬するアーティストからも必要とされてくる。それが私の幸せ。そういう関係性を持った映画製作をできるよう今後も努力していきたい」と、自分の立場や能力を客観視した目標を持つ。「人生8割は運の良さでやってきた」と話すが、運をつかみ取るために必要な決断力は、ほかでもないクデさん自身が持つ大きな才能である。

  • 英語力武器に飛躍 俳優 松崎 悠希 / Yuki Matsuzaki  

    2019年01月16日 ロサンゼルスで暮らす人々

     世界の役者が目指す最高峰の舞台、ハリウッド。映画であろうとドラマであろうと、アジア人俳優が成功するのは難しい。松崎悠希さんはその厳しい状況においてオーディションを勝ち抜き、『ラスト・サムライ』『HEROES』『パイレーツ・オブ・カリビアン』など有名作品への出演を果たしている。自身はその〝勝因〟が英語力にあると分析する。  映画俳優を志して渡米したのは2000年。はじめはニューヨークに滞在し、所持金すべてを盗まれホームレスになるという衝撃的な体験を経て、1年後にロサンゼルスへ移った。渡米から6年ほど経ったある日、英語の壁にぶつかる。「外国人俳優が米国で活動するには、まず語学は必要不可欠。台本にある日本語のセリフを直したり、翻訳したりすることが必要になることもあり、そういった変更について交渉し説得する英語力が求められる」と気づき、本格的なスキルアップを決意した。もともと「こだわってとことんやる凝り性」という性格の持ち主。辞書をまるごと暗記するなど徹底的に勉強するうちに、日本人俳優が米国で活躍できない原因の一つが英語のイントネーションにあると気づき、研究を重ねた松崎さんは役によって異なるイントネーションやアクセントを使い分けられるようになった。  これを生かして役を得たのが『ミュータント・タートルズ』。同作では古い英語に日本語のアクセントを加えた「サムライが英語をしゃべったらこうなる」という独自のアクセントを生み出した。映画『オセロさん』ではシェイクスピアの堅いセリフに日本語のアクセントを加えた英語を使いこなし、主役に抜てきされた。高い英語力を身につけることで演じられる役の幅も広がり、アジア系アメリカ人の役もこなすようになった。  まだまだ差別を感じるというアメリカの撮影現場において、演技以外で松崎さんが力を入れるのは「間違った日本人像を改善していくこと」。ステレオタイプの日本人像を実際の日本人に近づけたいと考える。身長183センチの松崎さんは「背が高すぎて日本人らしくない」という理由でオーディションに落とされることもあった。「外見だけではなく、習慣や文化についてのイメージを現実に合ったものにしたい」と、出演作品では正しい日本語が使われるよう自ら小道具を製作することも。軍事コーディネーターがいなかった『硫黄島からの手紙』では進んで資料の作成も行った。日本作品への出演経験もあるが「やりやすさは日本、世界的に日本文化を広められるものが多いからやりがいはアメリカ」。自由の国での挑戦意欲は増すばかりだ。

  • 受け継ぐ先駆者の技術  哲学貫くアーティスト サーフボード・シェイパー ガイ・オカザキ |Guy Okazaki  

    2018年12月13日 ロサンゼルスで暮らす人々

     「サーフボード業界はここベニスから始まったんだ」。ガイ・オカザキさんの仕事場は、ベニスビーチから数ブロックの静かな住宅街にある。サーフボードを作る。それがオカザキさんの仕事だ。生まれ育ったのはハワイ。サーフィン好きの父に影響を受け、物心ついたときには波に乗っていた。「ずっと、楽しむためと競技会に出るためだけにやっていた」。競技会に出るためには新しいボードが必要だが、当時のハワイにはサーフボードを買える場所がなく「手に入れるためには作るしかなかった。父も自分で作っていたし」。これがサーフボード・シェイパーへの第一歩だった。  本格的に学んだのは、家族でベニスへ引っ越してからのことだ。「ハロルド・イッギー、タク・カワハラが主に教えてくれた。そしてアーニー・タナカ、ウェイン・ミヤタ。彼らなしには今日の僕は存在し得ない。サーフィン・コミュニティの中でもほとんど語られていないが、サーフボード業界のパイオニアは、ハワイのカパフルからベニスへやって来た日系米国人たちだったんだ」。  教えてほしいと口に出して言ったことはなかったが、10歳ほど上のお兄さんたちは作業場にやってくる少年に優しかった。「14歳のときから見て学んで、そのうち色々な作業を見せてもらえるようになり、16歳のときに道具を使わせてもらえるようになった」。  ビジネスにしようと思ったことはない。初めて人のためにサーフボードを作ったのは70年代のこと。自分用に作ったボードを友人が借りていき、「最初の5枚は友だちが〝借りた〟まま返ってこなかった(笑)」。自分用にもう1枚。友人に頼まれてさらに1枚。気づけば毎週10枚ほど作っていた。友人たちがそれを買うようになり、いつのまにかビジネスがスタートしていた。  シンプルな製品でありながら、製作段階では複雑で繊細な指先の感覚が必要とされるサーフボード。「機械には作れないよ。各ステップがとても決定的な作業になるから人の手でやらないと」と、手作業にこだわる。たった一つのミスがすべてのプロセスを無にしてしまうことも。オカザキさんも「たくさんミスを重ねてきた」という。「まだたまにはミスするよ。まあ、人間だからね(笑)。それが学ぶ方法でもあるし、トライするだけ」。自分がかつでそうであったように、若い世代に教えたこともあった。しかし後を継ぐ者は現れていない。「サーフボードは“Dying Art”、死にゆく芸術なのかもしれない。僕らはたぶん、一つ一つ手作業をする最後の世代だろう」。サーフボード作りはビジネスだがアートでもある。そんな哲学を貫く職人だ。

  • DNAに導かれ“衣”の道へ ワードローブ/ スタイリスト/衣装製作 石井 宥己子 |Yukiko Ishii  

    2018年12月06日 ロサンゼルスで暮らす人々

     ワードローブ兼スタイリストの石井宥己子さんが主に手がけるのは、CMや雑誌、ショー、映画撮影衣装、舞楽・雅楽などの装束や歌舞伎の着付けだ。着物や和装が中心だが、洋服も扱う。子どものころからなぜか「布に惹かれた」。着物が大好きな母の影響もあり、とにかく布に触れたり見るのが大好きで、着物の帯には特に魅力を感じた。ファッション的要素だけでなく文化的・宗教的背景や歴史にも興味を持ち、将来は衣食住に関する職に携わる気がしていたという。学生時代は映像を専攻するかたわら工房で染色を学び、古典的な着物作りも学んだ。  曾祖父は明治時代、神職の資格を取った人だった。その曽祖父に育てられた祖母にとって御神体は神聖であり大切な物。石井さんは祖母がひっそりと静かに祀っている姿を見て育った。「祖母にはとても可愛いがられたのですが、思い出すのはやはり手を合わせ祈っている姿。幼心に着物や布に神聖なものを感じてたのかも。 そして、布には信仰とつながる意味がある」。最近になって曾祖父について詳しく知ったという石井さんだが、そのおかげですべてが「腑に落ちた」と話す。それまで深くは考えずに興味が沸き起こり、縁があって習った装束、舞楽や雅楽などすべて神道に関わりがある。着付けを習った歌舞伎も神道と深く結びついている。〝衣食〟という言葉は平安時代にはすでにあり、〝衣食住〟は後付けで江戸後期、明治から出てきたことば。〝衣〟は人にとっては大切な意味合いを持る。信仰的な意味を踏まえた背景や歴史や文化があり、本当に面白い」。体の奥深くに宿る曽祖父のDNAが、幼い石井さんを〝布〟へと向かわせたのかもしれない。  ロサンゼルスへやってくると、当初は一連の活動から離れてしまったものの、徐々に着付けなどの依頼が入るように。現在は人気歌手・中島美嘉のドレス製作、グラミー賞ラテン部門受賞バンドのメンバーの衣装製作、ハリウッド映画『ゴジラ』のプレミアでの着付け、インド・スリランカ合作映画のワードローブなど日米で活躍中だ。アシスタントとして参加したユネスコ文化登録の子供歌舞伎では、市川団十郎の専属着付け師から多くを学んだ。「米国では着物に興味を持つ人や、いろいろな文化背景がある人たちに着てもらうことが多い。その人に似合うように意識して着付けをしています。そして楽しんでもらいたい。そのためには自分自身が学んで知っておく必要がある。その上で着物をアレンジができれば」。いつかは日本的な要素を生かしてハリウッド映画に携わりたいといい、常に学ぶ姿勢を忘れず「和」を伝えるため 〝衣〟道に精進している。

  • 夢与えるため夢実現へ 映画監督 大澤 広暉|Hiroki Ohsawa  

    2018年09月13日 ロサンゼルスで暮らす人々

      人に夢を与えたい。大澤広暉さんが映画監督を志す理由だ。LAのニューヨーク・フィルム・アカデミーで映画製作を学び、昨年修士課程を修了した。しかし一度は玩具の会社で営業職に就いている。  子どものころからおもちゃが好きで、日本の玩具を原作にハリウッドで映画としてリメイクされた作品でもある『トランスフォーマー』にあこがれた。そんなバックグラウンドから、就職活動は玩具業界と映像業界に絞った。 日本の大学では映像製作は副専攻だったが、自主制作で撮った作品が賞を獲った。   それでも映像関連ではなく玩具会社に就職したのは「小さいころから〝ストーリーを伝える〟ことが好きだった。 自分が一番使える映像というツールでストーリーを伝えるか、おもちゃというツールを使ってストーリーを伝えるか。どちらも夢を与えることには変わりない」と考えたからだ。  2年間働いた玩具会社を退社し、米国へやってきたのは4年前。会社の商品のプロモーション映像を自社制作したいとも考えていたが、映像専門の学部出身でもなければプロとしての経験もないため実現が難しく、「学生時代に賞を獲ったといっても趣味のレベルは超えられない」と痛感し、映像制作を一から学び直そうと思ったのがきっかけだった。それまで海外志向はまったくなかった。 しかし「世界の中で最高の映画の教育が受けられるところはやはりハリウッド。どうせなら海外に行くのもありかなという思いがそこで芽生えました」。  LAでの進学先は「入学翌日からユニバーサルスタジオ内でカメラの講習を受けるような非常に実践的」かつ休み返上のカリキュラムが売り。さらに外国人学生が多く、結果としてワールドワイドなコネクションを作ることができたという。 「能力を認めてくれると元クラスメイトがスタッフとして呼んでくれたりして、いろいろな経験ができるのは将来にもつながる。ワールドワイドな視点も強み」。 学生時代は監督した作品がノミネーションを含めて複数受賞したが、卒業したからといってすぐに映画監督になれるわけではない。   現在はウェブシリーズの番組の監督や、監督兼プロデューサーとして日本語教材の映像コンテツに携わるなど、異なる活動を通じて基盤を築いている最中。 いずれは自分の作品で日本の文化を発信していきたいと考えている。   米国で足下を固め、そのバックグラウンドを背負った状態で日本へ行き、最終的には日米をまたいで仕事をするのが目標だ。 夢を与えるために、まずは自分の夢実現を目指している。

  • 「客席のエネルギー満たす映画づくり」 映画監督 北村 龍平 |Ryuhei Kitamura  

    2018年05月10日 ロサンゼルスで暮らす人々

     6人の大学生を乗せた車が、荒野のど真ん中を走っている最中にパンク。修理を始めた学生たちは、この事故が単なる偶然ではなく、タイヤが何者かに撃たれたことに気づく。やがて見えない敵からの狙撃が始まり……。あらすじからでさえスリル感が味わえるホラー映画『ダウンレンジ(Downrange)』。自身の新作である同作品がロサンゼルスでプレミアを迎えた北村龍平監督に話を聞いた。  「僕がホラーやスリラー映画を撮る時は、予測不能な動きをするジェットコースターに乗ったようなスリルを味わえるものを作りたいと、常に思っているんです。映画はエンターテイメント。スクリーンに向かっている間は時を忘れるほど楽しめて、終わった時には爽快な気分を味わえる。観客に何かしらのエネルギーを与える力が無いと、それは映画とは言えないと僕は思うんです」  99年に渡部篤郎主演『ヒート・アフター・ダーク』で監督デビュー。『VERSUS(ヴァーサス)』(01年)はトロント国際映画祭のミッドナイトマッドネス部門で北米プレミア上映されるなど世界的に高く評価され、『あずみ』(03年)、『ゴジラ FINAL WARS』(04年)と立て続けに大作のメガホンを取った。10年前に渡米。ハリウッドでの第一作目『ミッドナイト・ミート・トレイン』(08年)を製作以降、ロサンゼルスを拠点に活動を続けている。  「5年前に久々に日本で監督した実写映画『ルパン三世』は、僕にとって大きな挑戦でした。国民から大々的に支持されるルパン三世は偉大なプロジェクトでプレッシャーも大きかった。それでも監督の仕事を受けたのは、常に違うものを作りたい、逆境をどう乗り越えるかのチャレンジをし続けたいという気持ちからでした。そしてそのルパン三世の後に撮ったのが今回の『ダウンレンジ』。前作品とは真逆の、自分の原点に立ち返るものを作りたかった」  20年ほど前に3000万円の低予算で撮ったインディーズムービー『ヴァーサス』。無名で金もなかった時代に周りに反対され、借金もして、それでも山にこもって撮った同作品は自身の原点。大きな看板がなくても自分にしか生み出せない作品でいつでも世界で勝負できる自信があると話す。  ハリウッド映画を観て育ち、17歳の頃から「自分が作りたいものを作る」ことだけを見つめて突っ走ってきた。その焦点は1ミリもブレることはない。「自分のやりたいことに対してどれほどの情熱を注げるか・・・。僕のやりたいことは、最高だと思える映画、オーディエンスに楽しいと思ってもらえる映画を作ってお金を稼ぐという極めてシンプルなことです。極端なことを言うと、やりたくないことをやってまで生きていたくない。でも死にたくないから一生懸命にやる。モチベーションてそういうものだと思うんです」。