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  • アメリカ出世稲荷神社 「秋祭り・七五三詣」 11/10(日)

    2019年10月16日

    11月10日(日)、アメリカ出世稲荷神社では、その年の収穫を感謝する日本の「秋祭り」と「七五三詣」のご祈祷を行う。 場所はサウスベイ・ダンス・センター(24827 S. Western Ave. Lomita CA 90717)、時間は秋祭りの式典が10:30am~、七五三詣のご祈祷は11am~2:30pm(ご祈祷は約20分)。 アメリカ出世稲荷神社では、ご祈祷(千歳飴・お守り、御祝いギフト付き $50~)の予約を受付けている。 また、同会場では日本文化振興協会なでしこ会による着物レンタル、着付け、写真のサービスも行われる。 詳細は下記まで。

  • Vol.5 家庭での日本語学習の大切さ    

    2019年09月27日 教育コラム

    前回お伝えした米日教育交流協議会主催の日本語・日本文化体験学習プログラム「サマーキャンプin ぎふ」には、二〇〇六年から二〇一八年までの十二年間に二三七人の小中学生・高校生が参加しました。  参加者の国や地域は、アメリカ各地をはじめ、カナダ、メキシコ、イギリス、フランス、アイルランド、トルコ、中国、香港、台湾、韓国、タイ、ナミビアというように、世界各地に広がりました。日本に在住し、インターナショナルスクールやアメリカンスクールに在学する子どもたちも参加しました。 また、参加者の両親を見ると、半数以上は母親が日本人という子どもでしたが、父親が日本人、両親とも日本人でもアメリカ生まれや幼少時からアメリカ在住という子ども、両親ともアメリカ人や中国人という子どももおり、いろいろな家庭からのニーズがあることを実感しました。  サマーキャンプに参加者したのは、すべて日本語学習中の子どもたちですが、日本語力には大きな差がありました。日本語での会話が堪能で、日本の学年相応の読み書きができる子どもがいる一方で、ひらがなの読み書きも難しく、片言の会話しかできない子どももいました。 このような日本語力の差は、家庭での日本語学習環境が大きく影響していることを感じました。  日本語が堪能な子どもの家庭では、多くが両親や兄弟姉妹と日本語で会話しています。一方、母親だけと日本語で会話している家庭の子どもの日本語力は、やや足りないケースが目立ちます。 また、父親だけと日本語で会話している家庭の子どもの日本語力は、外国語を話す母親と過ごす時間が長いということもあり、日本語力が足りない傾向があります。 そして、両親と日本語で会話していても、兄弟姉妹では日本語を使わない家庭でも、日本語力が足りないこともあります。 両親が日本人でない家庭の子どもなのに日本語が堪能で感心したのですが、両親がともに日本での生活経験があり、流ちょうな日本語を使える方であり納得したという経験もあります。  日本語力の向上のためには、家庭ではできるだけ日本語で会話することに加え、日本語学習環境を整えることが大切です。そのためには、補習授業校に通学し、家庭での日本語学習時間を確保するのが最適です。 しかし、補習授業校に通学しない場合でも、日本語の本や漫画を読んだり、日本語のテレビやビデオを観たり、音楽を聴いたりして、日本語に触れる時間を増やすと良いでしょう。本の種類や番組は、子どもの興味を引くものを選ぶことも大切ですが、年齢相応のものを選ぶことも心がけましょう。  サマーキャンプ終了時には、保護者に日本語で話しかける子どももおり、大変嬉しく思いました。にもかかわらず、次の年に参加した時には、元に戻っているという場合もありました。次の年も日本語力を維持・向上しているのは、アメリカに帰ってからも日本語学習を継続した家庭の子どもでした。「継続は力なり」ですね。    次回は、帰国生のアメリカ生活について』を掲載します。     現地校の新年度が始まり1カ月が過ぎました。来年にアメリカの大学を目指す高校生は希望大学の出願準備に追われています。今年高校を卒業した生徒が受験する帰国生大学入試は9月入試の合否結果が判明しつつあり、来春の入学先を射止めた受験生も出ています。    

  •   Vol.4 一時帰国で学ぶ日本語と日本文化  

    2019年09月26日 教育コラム

    アメリカの学校の長い夏休みには、長期間にわたり一時帰国する家庭が目立ちます。一時帰国中の日本での過ごし方で目立つのが、日本の学校での体験入学です。  帰国予定のある家庭にとっては、子どもが本帰国後に日本の学校に円滑に適応するために、学校生活の様子を知る良い機会です。また、同学年の子どもとの学力の違いを確認することもできます。 ただし、国私立の中学や高校の受験を予定している場合には、学習塾で受験対策中心の学習をされる方もおられます。  一方で、帰国予定のない家庭にとっては、日本語の学習を集中的に行ったり、学校生活を通じて日本文化を学んだりする絶好の機会です。ただし、補習授業校に通学せず、日本の教科書での学習を行っていない子どもにとっては、日本の学校の体験入学はお勧めできません。 国内の子どもと日本語で会話はできたとしても、授業内容はほとんど理解できないため、教室に座っていることが苦しいと感じるからです。また、受け入れ校側でも対応に困るため、体験入学を断られることもあります。  しかし、帰国予定のない家庭では、せっかくの一時帰国中に日本語や日本文化を学ばせたいという強い思いがあります。我が家でも、娘は補習授業校で学び、家庭でも日本語で会話をしていましたが、年々日本人離れしていく姿を見て、アメリカでの生活では体験できない日本の文化を理解する必要性を感じていました。 そこで、私が設立した米日教育交流協議会では、日本語・日本文化体験学習プログラム「サマーキャンプin ぎふ」を企画しました。  活動拠点は、日本の自然や歴史を心と体で感じさせるため、私の故郷である岐阜県の里山としました。 楽しみながら日本語と日本文化を学ぶことをコンセプトにし、約十日間から二週間の実施期間中には、築百年以上の古民家での生活体験、寺院での読経や座禅体験、里山の畑での農業体験、清流での川遊びやいかだ川下りなどの自然体験、岐阜城や神社仏閣などの史跡見学の他、民家でのホームステイや公立学校での体験入学など、多彩な活動をすべて日本語で行いました。 また、私が実施期間中に心がけていたのは、参加した子どもたちに日本の礼儀作法を修得させることです。  いつも初日のオリエンテーションでは、日本語で大きな声で挨拶をすることを約束しました。お世話をしてくれる大人には、「おはようございます。」、「ありがとうございました。」などというように敬語を使うことも指導しました。 また、家に入るときには脱いだ履物を揃えること、和室での食事の際、食前食後の挨拶「いただきます。」、「ごちそうさまでした。」の時は必ず正座をすること、話を聞くときは話す人の顔を見て聞くことや、途中で口をはさまないで最後まで聞くことなども徹底しました。これらの礼儀作法は、サマーキャンプに参加した子どもたちが大人になった際に役立っていると信じています。   次回は、『家庭での日本語学習の大切さ』を掲載します。       ミシガンでは、9月に入ると秋の気配が漂い、一気に広葉樹が紅葉します。えも言われぬ鮮やかな色に染まった森や林を見るのが楽しみでした。サンディエゴは相変わらず青空が広がっていますが、秋は訪れているようです。ただし、私にとっては夏が続いていると感じます。  

  • 美容で人をスマイルに 美容家 山野 愛子 ジェーン Jane Aiko Yamano  

    2019年09月25日 ロサンゼルスで暮らす人々

    日本の美容界をけん引するヤマノグループ。二代目山野愛子ジェーンさんは山野学苑の理事長、山野美容専門学校校長、山野美容芸術短期大学学長、山野流着装教室の宗家として、初代の教え“美道”の精神に則り、人々を美容で幸せにする活動をする

  •   Vol.2 補習授業校を継続することの難しさ  

    2019年09月20日 教育コラム

     補習授業校は、平日現地校で学ぶ子どもが、帰国後に日本の学校に適応できるように、日本の教科書を使った授業や学校行事など、日本の学校に準ずる教育を行っている学校です。 ただし、多くの学校には、帰国予定の子どものみでなく、永住者や米国市民の子どもも在籍しており、後者の方が多い学校も目立ちます。  私は補習授業校の教員を、複数校で通算十七年ほど勤めています。娘も幼稚部から高等部までの十三年間通学しました。これらの経験で、永住者や米国市民の子どもが補習授業校を継続することの難しさを実感しています。  補習授業校を継続することの難しさの一つは、日本の子どもが一年間で学ぶ内容を、週一回のみで履修しなければならないことです。授業だけでは定着しないので、多くの宿題が課されますが、それをこなすのがなかなか大変です。  娘の場合、幼稚部や小学部一~二年生までは、さほど苦労はしませんでしたが、それを過ぎると、覚える漢字の数も増えますし、難しい言葉も出てくるようになり、徐々に親の手伝いを要するようになりました。 また、毎日、少しずつ進めればよいのですが、平日は現地校の宿題や課外活動、習い事などもあり、ふと気が付くと金曜日になっていたこともあり、そんな時は深夜まで泣きながら取り組んだこともありました。 しかし、大変でも宿題をすることによって授業を理解できる実力が着き、続けることができるのです。  もう一つの難しさは、現地校との両立です。現地校のエレメンタリースクールは、授業も難しくなく宿題も多くはありませんが、ミドルスクール、ハイスクールと上級学校に進学すると様変わりします。授業や宿題が難しくなるだけでなく、授業によっては平日の放課後や休日にも、コンサートやコンクール、プロジェクトへの参加の必要があり、クラブに所属すれば、練習や試合などに参加せねばなりません。 また、アメリカの大学に進学するためには、ボランティア活動やインターンシップを行う必要もありますし、進学に必要なSATやACTは、補習授業校の授業日の土曜日に試験が行われます。  娘の場合、オーケストラとバンドの両方をやっており、平日の夜にコンサートに参加することもしばしばありました。 ただし、補習授業校を休まないよう土曜日に練習や試合のあるクラブ活動には、敢えて参加しませんでした。それでもオーケストラやバンドの関係で休むことはありましたし、フットボールのシーズンは金曜日の夜まで試合の応援演奏があり、土曜日の朝に辛い思いをして起きたことも少なくありませんでした。 また、高等部三年の九月からは州内の大学に進学し寮生活をしていましたので、毎週金曜日に車で片道一時間半かけて迎えに行かねばならず、親としても大変でしたが、今は、補習授業校を継続できて、とても良かったと感じています。   次回は、『補習授業校を継続することの大切さについて』を掲載します。       夏休み明けは、心身ともに一回り成長した子どもの姿が見られ嬉しいです。一方で、現地校の学年が上がり、勉強が難しくなったり、課外活動が忙しくなったりして、大変そうな子どもの姿を見ることもあります。将来のため、頑張って乗り切ってほしいと思います。      

  •   Vol.3 補習授業校を継続することの大切さ  

    2019年09月20日 教育コラム

     前回述べました通り、補習授業校を継続することは、特に永住や米国市民の子どもにとって、とても難しいことですが、継続することによって、とても大切なものを得ることができます。  まず、日本の同年齢の子どもに準ずる日本語力が修得できます。中学部を卒業すれば、二、一三六字の常用漢字すべてを学ぶことになりますので、日本で生活するのに支障がなくなります。高等部を卒業すれば、常用漢字の読みに慣れ、主な常用漢字を書き、文や文章の中で使うことを学習しますので、日本語をより使いこなすことができるようになります。  また、補習授業校では、文法、敬語、ことわざや慣用句、故事成語なども学びます。文法を学ぶことは正しい日本語を使うことに有効ですし、敬語を修得することは日本で大学生や社会人になった時にはもちろん、海外でも日系企業で働いたり、日本人と接したりする場合に必ず役に立ちます。  永住者や米国市民の子どもは、英語は第一言語として使いこなしているでしょうから、補習授業校の中学部や高等部を卒業すれば、バイリンガルとなれると言えるでしょう。 しかし、日英両語が使いこなせるだけでは、真のバイリンガルとは言えません。日本の文化を理解していること、特に日本的な礼儀作法を身に付けていることが必要です。  補習授業校では、授業はもちろん、運動会や入学式、卒業式などの学校行事や、音楽会、文化祭、生徒会活動などの諸活動も、日本の学校に準じて行っています。このような学校行事や諸活動を通じて、起立、礼などの礼法、朝や帰り、始業や終業時の挨拶など、日本的な礼儀作法が自然に身に付いていきます。  このように、補習授業校を継続することによって、社会でも通用する日本語力と日本的な礼儀作法が修得でき、真のバイリンガルとなることができるのです。そして、真のバイリンガルとなった子どもたちは、グローバルな世界で活躍しています。  私の教え子たちも、アメリカの大学を卒業してアメリカに進出している大手日系企業に勤務している生徒、日本の大学を卒業して世界四大会計事務所のような外資系の企業に勤務している生徒など、さまざまな分野で活躍しています。 私の娘も、アメリカの大学を卒業し、アメリカの医薬品関係企業に就職しましたが、日英バイリンガルということで、現在は東京支社に勤務しています。  すべての生徒に共通しているのは、幼少時より高等部まで補習授業校を継続したこと、日英両語が堪能であること、日本的な礼儀作法を修得していることです。 さらに、大学で身につけたエンジニアリング、コンピュータサイエンス、バイオケミストリー、マネージメントなど専門分野を活かして活躍しているということです。現在、補習授業校で学んでいるどもたちが、彼らに続くことを期待しています。   次回は、『一時帰国で学ぶ日本語と日本文化について』を掲載します。       サンディエゴでの生活も5カ月半となりました。妻はミシガン、娘は東京という、各々時差のある地域で暮らしていますが、ラインでコミュニケーションを取っています。お互いが寂しいながらも、元気に生活しているのを確認でき、嬉しく思います。    

  • 米国で目覚めた日本愛 夢は“逆輸入”映画作り   美術監督 チカコ・スズキ / Chikako Suzuki  

    2019年09月04日 ロサンゼルスで暮らす人々

    美術監督としてハリウッドで活躍するチカコ・スズキさん。エミー賞ノミネートはFacebookでたくさんのお祝いコメントをもらって知ったという。「まさかという感じだった」と振り返るが、「仕事のオファーが来るときにあれこれ聞かれることはなくなったけれど、生活自体は変わっていない」と話す

  • 立夏幼稚園で夏祭り開催 入場無料、だれでも参加可能  

    2019年07月17日

    サンタアナにある立夏幼稚園は、広々とした園庭や多彩な季節行事が特長。日本語教育と日本文化継承を行い、遊びや体験を通して、学ぶ環境を提供する。 毎年恒例の夏祭りは8月17日(土)3:00pm~7:00pm、園庭にて開催される。スーパーボールすくいやヨーヨー釣り、輪投げなどのゲーム、焼きそばやかき氷などの、お好み焼きなどの食べ物も楽しむことができる。また、スイカ早食い競争など、大人から子どもまで楽しめる内容が盛りだくさん。 だれでも参加可能で入場は無料。     立夏幼稚園 714-557-1669 1510 Brookhollow Dr. Santa Ana CA 92705 http://www.karpos.co.jp/ricca2012/  

  • 【7/24(水)】 ジャパン・ナイト

    2019年07月16日 Los Angeles

    ドジャースが、エンゼルスとの地元対決を前にフィールドで日本や日本文化を紹介する毎年恒例のジャパン・ナイトを開催する。 当日は前田健太投手の背番号が入ったジャパン・ナイト特別ジャージももらえる。 24日もエンゼルス戦がある。   ●Dodger Stadium ●1000 Vin Scully Ave. Los Angeles ●(866)363-4377 ●www.mlb.com/dodgers/tickets/specials/japanese-heritage-night  

  • 「KIMONO」名称変更へ 下着ブランド使用に批判

    2019年07月11日

     【ロサンゼルス 7月2日 時事】タレント、キム・カーダシアンさんが「KIMONO」(キモノ)という言葉を冠した補整下着ブランドを先週発表し、日本などから批判が相次いだ。反対運動の高まりを受けて、カーダシアンさんは1日、名称を変更する意向を表明した。   「KIMONO」は商標登録も申請されており、「日本文化の盗用」などと反発が広がった。インターネット上では「#KimOhNo」(キム、オーノー)のハッシュタグ(検索用の目印)を付けた反対運動が展開され、商標登録への反対を呼び掛けるネット上の署名への賛同者は13万人を超えた。   京都市の門川大作市長はカーダシアンさんに宛てた書簡で、名称は「きもの文化を愛するすべての人々共有の財産であり、私的に独占すべきものではない」と訴えた。   カーダシアンさんは1日更新したツイッターに「慎重な検討と熟慮の結果、新しい名前でブランドを立ち上げることにした」と書き込んだ。  

  • 「おふくろの味広めたい」 料理講師/フードライター/日本食プロデューサー 酒井 園子 Sonoko Sakai  

    2019年07月10日 ロサンゼルスで暮らす人々

     ニューヨークで生まれ、東京、サンフランシスコ、メキシコで育ち、再び日本を経てロサンゼルスへ移り、以降は米国で暮らす酒井園子さんは、日本の「おふくろの味」を広めるためにフードライター、料理講師として活動する。「いろいろな場所で過ごしてきたけれど、やはり私の原点は日本」と話す。   祖母、母はともに主婦、5人兄弟の大家族という環境もあり、めったに外食のない家庭に育ったためか、子どものころから「家で食べるものが一番おいしい」と思っていた。 〝食〟への興味も大きく、UCLAの大学院生だった30年前には、先生のすすめで日本の家庭料理についての本も出版した。しかし卒業後は映画の道を選択。配給会社でバイヤーとして、後にはプロデューサーとしてキャリアを積み重ねていた。 ところが2008年、リーマンショックの影響を受け、プロデュースした映画の興行が失敗。ショックは大きかった。 「映画は文化事業。自分の中では一つの文化を広めるためだった」と打ち込んでいた仕事に区切りをつける決心をしたのは、ちょうど10年前。 気持ちを切り替え、身近でできる仕事は何かと考えたとき「日本の家庭料理は海外ではあまりきちんとした形で紹介されていない」と気がついた。 「日本料理はエッセンシャル。どんな職人であろうと、出したいのは〝おふくろの味〟」。ビジネスのためではなく家族のために作る、日本が築いた家庭料理の味を広めたいと考えた。そして日本食のクラスを開講するなど地道な活動を開始した。   酒井さんが特に興味を持ったのは蕎麦。米国では穀物として蕎麦が作られ、その蕎麦が日本に輸出されている。この現実に疑問を抱いたことがきっかけで、日本に行き蕎麦職人に弟子入りした。酒井さんの手打ちそばのクラスでは、ただそばを打つだけではなく出汁など日本料理の基本について教える。 今では蕎麦のスペシャリストとしてメディアにも登場するようになったが、「私はクラスをやって家庭料理を広めているだけ」と笑う。 自分にとってのセラピーである粉を打つことが、ほかの人にとっても癒やしになるのがうれしい。 食文化は「日本人が一番プライドを持って外に出せるもの」だが、海外ではまだまだ誤解や先入観を持つ人が多い。 欧米では〝日本食=スシ〟と考えられがちだが、日常的な家庭料理はまったく別物で、その存在は知られていないのが現状。 「華やかな映画の世界に比べたら今の仕事は地味。でも残る人生は日本の食文化のことだけやっていく。それほど日本食は奥が深いから」。   映画で叶わなかった日本文化の伝達に、酒井さんは〝食〟という違う形で挑戦している。  

  • ダシにこだわる職人 「本物の日本料理を」 料理人 杉山 直彦 / Nao Sugiyama  

    2019年04月04日 ロサンゼルスで暮らす人々

     ニューヨークの名店『KATANA』でエグゼクティブ・シェフを務めた後、1998年にオープンした『SUGIYAMA』においてニューヨーク・タイムズの三ツ星、ザガット・サーベイで30点中28点獲得、フォーブスの三ツ星など、数々の賞を受賞した〝Washoku〟のエキスパート、杉山直彦さん。米国メディアでも何度も特集記事が組まれるなど、本物の懐石料理をニューヨークの街で提供してきた。  料理を始めて47年。NYの店は2015年にのれんを下ろし、2017年にロサンゼルスへやってきた。同年11月には知人の紹介で再び料理場に立つことになり、現在はビバリーヒルズの日本食レストラン『SHIKI』にて料理長として腕をふるう毎日だ。  こだわるのは和食の基本であるだし。濃味、薄味、かつおだし、昆布だしなど、一口にだしと言ってもその種類は多く、料理の品ごとに使うものも変わってくる。「カツオの重さを量っても同じものはなかなかできない」といい、その日の体調や水の温度など、微妙なバランスの差が味に影響する。「何十年やっていても毎日同じものはできないんです。だけど、それができたときは朝からハイテンションになる」と笑う。  質素に見えても味が充実している日本料理は、長年のキャリアを誇る杉山さんにとっても未だに難しいという。できないことがまだまだあり、一つできるたびに「あぁ、がんばってよかったな」と思う。「料理は一生難しい。それをこなしていくことが自分の幸せ、お客さんの幸せにつながるんじゃないかなと思う。どうしてもできなかったことが、ある日突然できるようになることもある」。それを何度やってもできるようになるまで、繰り返し練習して習得するのだという。  ただ夢中でやっていた十代のころから熟練の域に入った現在まで、料理に対する姿勢は変わらない。「一番大切なのはお客さま。おいしいものを食べてほしい」という一心でやってきた。ほとんどの食材は日本から輸入し、流行りのフュージョン料理ではなくあくまでも本当の日本料理にこだわる。  実は、29年前の最初の渡米先はここLAだった。その後移ったNYで大成功を収めた杉山さんにとって、今回のLA行きは〝凱旋〟とも言える。「昔ここにいて、最後にまたLAで締めくくりたいと思った。最後まで日本料理の料理人として貫きたい。できる限り、健康であればずっとやりたい。今年で65になるけれど生涯日本料理人でありたい。死ぬまで料理を作ります。ここ(調理場)で死ねたら本望ですよ(笑)」。〝ホンモノ〟を提供する〝ホンモノ〟の職人である。

  • 英語力武器に飛躍 俳優 松崎 悠希 / Yuki Matsuzaki  

    2019年01月16日 ロサンゼルスで暮らす人々

     世界の役者が目指す最高峰の舞台、ハリウッド。映画であろうとドラマであろうと、アジア人俳優が成功するのは難しい。松崎悠希さんはその厳しい状況においてオーディションを勝ち抜き、『ラスト・サムライ』『HEROES』『パイレーツ・オブ・カリビアン』など有名作品への出演を果たしている。自身はその〝勝因〟が英語力にあると分析する。  映画俳優を志して渡米したのは2000年。はじめはニューヨークに滞在し、所持金すべてを盗まれホームレスになるという衝撃的な体験を経て、1年後にロサンゼルスへ移った。渡米から6年ほど経ったある日、英語の壁にぶつかる。「外国人俳優が米国で活動するには、まず語学は必要不可欠。台本にある日本語のセリフを直したり、翻訳したりすることが必要になることもあり、そういった変更について交渉し説得する英語力が求められる」と気づき、本格的なスキルアップを決意した。もともと「こだわってとことんやる凝り性」という性格の持ち主。辞書をまるごと暗記するなど徹底的に勉強するうちに、日本人俳優が米国で活躍できない原因の一つが英語のイントネーションにあると気づき、研究を重ねた松崎さんは役によって異なるイントネーションやアクセントを使い分けられるようになった。  これを生かして役を得たのが『ミュータント・タートルズ』。同作では古い英語に日本語のアクセントを加えた「サムライが英語をしゃべったらこうなる」という独自のアクセントを生み出した。映画『オセロさん』ではシェイクスピアの堅いセリフに日本語のアクセントを加えた英語を使いこなし、主役に抜てきされた。高い英語力を身につけることで演じられる役の幅も広がり、アジア系アメリカ人の役もこなすようになった。  まだまだ差別を感じるというアメリカの撮影現場において、演技以外で松崎さんが力を入れるのは「間違った日本人像を改善していくこと」。ステレオタイプの日本人像を実際の日本人に近づけたいと考える。身長183センチの松崎さんは「背が高すぎて日本人らしくない」という理由でオーディションに落とされることもあった。「外見だけではなく、習慣や文化についてのイメージを現実に合ったものにしたい」と、出演作品では正しい日本語が使われるよう自ら小道具を製作することも。軍事コーディネーターがいなかった『硫黄島からの手紙』では進んで資料の作成も行った。日本作品への出演経験もあるが「やりやすさは日本、世界的に日本文化を広められるものが多いからやりがいはアメリカ」。自由の国での挑戦意欲は増すばかりだ。

  • 次世代育て大切に渡す   日舞で伝える日本文化 歌舞伎役者 中村 鴈京 |Gankyo Nakamura  

    2018年11月08日 ロサンゼルスで暮らす人々

     オレンジカウンティで生まれ育ち、大学以降LAで暮らす中村鴈京(日舞:坂東拡七郎)さんは日系二世の歌舞伎役者だ。UCLAで政治学と哲学を専攻し、当時は弁護士になろうと思っていた。母方の祖母がハワイ生まれ、母は日本生まれ。シカゴ大留学後米国へ住み着いた父は会計士。祖母の「二世として米国で生まれ育つからには日本文化を習ったほうがいい」という言葉により、兄は剣道、姉は日舞を習っていた。姉の稽古に同行していた鴈京さんも3歳で日舞を開始。「子どもはファンタジーの世界が好きですから。日本舞踊は侍や町人の世界でいろいろな役で遊べる。他のだれかになれるのが楽しかった」。  大学3年時、政治学と哲学を学ぶために東大へ1年間留学した。その間も日本舞踊を習っていたが、ある日、先生から大阪の『松竹上方歌舞伎塾』で学んでみてはとすすめられた。当時の中村鴈治郎が上方歌舞伎の後継を育てるために作り、三味線、踊りなど日本の伝統芸能すべてを2年間で習うことができる塾だ。面接と試験を受けてみたところ合格し、東大を辞めて大阪に引っ越した。両親にはあとから手紙を出して報告した。 2年後、卒業発表を見た鴈治郎(現・坂田藤十郎)に声をかけられて弟子入り。稽古について行ったり、師匠の世話をしたりと忙しい日々を送っていたが、師匠のもとでは初の外国人弟子。周囲から反対され、鴈治郎ファンから罵声を浴びせられたこともあった。楽屋の掃除をすると「外人だから掃除の仕方がなっていない」と言われ、英字新聞を楽屋で読んでいたら厳しく叱られた。そういう経験があるからこそ、「だれよりもちゃんとしていないと」と思うようになり、悔しさをバネにした。その一方で、「一門の先輩たちはすごく大事にしてくれて細かく教えてくれ、理解してくれた」という。  7年間の修行後はLAに戻り、日舞を教えるかたわら、修士号、博士号を取得した。現在は日舞のほか母から受け継いだ木目込人形の技術も教えながら、大学で教鞭を執る。日本文化と文学以外に、アニメの授業も受け持つ。「アニメを通して日本の文化、歴史を深く理解することがテーマ。古典文学を生かした授業をしています。ここから日本に興味持ってもらえたら」。昨年、世界で初のアニメと日舞のコラボを行い、好評を得た。「米国はいろいろな文化が混ざっていて、それがいいところ。でも自分のルーツをしっかり考えないと、どんどん消えていってしまう。まずは日本文化を大切にし、将来の子どもたちのためにも守っていかないといけない。祖母が『せっかく日本文化を習っても伝えていかないと意味がない。大切にして渡していかないと』と言っていた。今後は日本文化のすばらしさを広め、次の世代を育てていきたい」。

  • 学校、生徒、保護者が 二人三脚で取り組む教育 くじら学園園長/ プリスクール教師 ブライト 直子|Naoko Bright  

    2018年08月30日 ロサンゼルスで暮らす人々

     サンディエゴで生まれ、アメリカ人と日本人の両親の間で育つ子どもたちに日本語や日本文化を伝えたい。そんな思いを持つ保護者によって1987年に作られた幼児保育グループ『くじら学園』。保護者が持ち回りで教え、運営していた学園に、1998年に娘さんが入園、それをきっかけに『くじら学園』に関わるようになったブライト直子さん。2001年にはブライトさんは園長となり、学園は非営利団体として登録された。  「園長になるからには自分も幼児教育について学ばなければと思い、Child Developmentの資格を取得しました」。それから資格を生かし、平日には現地公立学校のプリスクール教師としても従事。そしてこのプログラムがスペシャルニーズの児童を受け入れることになり、ブライトさんはさらにAutism Educational Certificateを取得した。  「『くじら学園』に関わる前には自分が教育者になるとは思ってもみなかった」というブライトさんだが、今は自分がやればやるほど結果が出る仕事だと実感している。  その後『くじら学園』の幼稚部を終える園児や保護者から「日本語の学習をもっと続けたい」という要望が増え、2011年に継承語日本語教育機関となる小学部を設立。「当学園には保護者からの日本語を継承していく指導がふさわしいと考えました」。ブライトさんをはじめ教員はカリフォルニア州立大学ロングビーチ校日本語科主催の継承日本語教師研修に参加し、その指導法に基づいて授業を行っている。  「保護者主体で学園を運営し、家庭の日本語をどうサポートするかを伝えるのが学校。それは設立以来変わらない方針です。教師は保護者が子どもとどう関われば日本語が増えるのかというヒントを紹介しています。まずは日本語を話したい子どもの気持ちが大切。子ども自身が一生懸命伝えようとして自分で考えて伸びるのです」。そう話すブライトさんも日頃から子どもたちの声を聞き、耳を傾けている。  「園児が学校を楽しんで、入学してから1年経って、できなかったことができるようになる成長を見るのが嬉しい。ここにくる園児や保護者の希望は、『日本の祖父母と話がしたい』から『高校のSAT Japaneseで高得点が取れる学力を身につけたい』まで様々です。当園では少人数だからこそ全ての園児や保護者の顔と要望がわかり、一人ずつに合わせた目標に向かってお手伝いができるのです」  これからは自身の日米の経験を生かし、幼児教育のワークショップを開いていきたいと話すブライトさん。「保護者は教育といえば勉強がまず気になりがちですが、友達と一緒に楽しんで遊ぶ、人を思いやる心を持つなど、社会性があり、情緒が安定している子は勉強もできるようになります。そういったエピソードを伝えていきたいですね」。

  • 日本文化忘れない 刀で未来サポート 目利き師 マイク 山崎 |Mike Yamasaki  

    2018年07月13日 ロサンゼルスで暮らす人々

     第二次世界大戦後、敗戦国日本ではGHQによる〝刀狩り〟が行われた。日本刀も武器とみなされ没収され、その後、進駐軍兵士たちによって数々の刀が海を渡った。そのため米国には思わぬ名刀が存在することがあり、日本刀に惹かれる米国人も多い。  日系三世のマイク山崎さんは世界で30人ほどいる刀の目利き師の一人だ。作者はだれか、作られた時代はいつかを見分ける。カリフォルニアでは唯一の存在で、日本刀および古美術品を取り扱う『鉄元堂』を営む。祖父母は日本人。祖母に「日本の文化を忘れないで」と言われて育ち、10歳で空手、12歳で居合道を始めた。子供のころ、チャンバラ映画好きの祖父に連れられ映画館へよく行った。 日本文化への興味や和の精神は自然と育まれていった。  ある日、友人に誘われて日本刀のビジネスに足を踏み入れた。日本語が読めなかったため、1年間毎日一つずつ漢字を覚えた。日本からやってきた刀ディーラーに日本刀のことなら日本で勉強するべきだと勧められ、訪日したのが25年前。日本美術刀剣保存協会の田野辺道宏氏に〝Good Eye(目利き)〟を学び始め、自費で日米を行き来しながら熱心に勉強した。もともとの才能に加えて田野辺氏の献身的な指導により、日本刀の作者や年代を当てる鑑定会では初参加で200人中5位に入賞。2001年の鑑定会では『天位』を獲得し史上初の日本人以外の優勝者となった。「米国生まれ米国育ちでも二世、三世の世代は日米両方のことをよく知っているほうがいい。刀について学ぶということは、日本の文化や歴史を学ぶということで、未来のサポートにつながる」。  昨年、自分の知識や経験を将来ある子どもたちに伝えていこうと思い立った。そして起ち上げたのがNPO団体『Jidai Arts』。「刀などの高価なものに『触ってはいけない』というのは間違った教育。信頼してあげなければ子どもたちは自信を持てない。『触るな』ではなく、どうやって扱うかを教えてあげればいい。それに今の子どもは大変なことはすぐ諦める。昔の職人はプライドがあり、どんなに困難でも〝ネバーギブアップ〟だった。その精神を伝えたい」。日本の刀文化を途絶えさせたくない。刀や鎧兜について教えることで、和の精神、知識、文化や歴史を米国で若い世代に伝えたいと考える。しかし「子どもたちには刀のことは教えたいけど仕事にはするなと言いたい」と笑う。生業とするには努力と知識に加えて、才能が必要となる超一流の〝Good Eye〟が求められる。マイクさんは「僕はすごく運が良かった。人にとても恵まれた」と話す。日本行きのきっかけをくれた友人の刀ディーラーと、刀について教示してくれた田野辺氏には心から恩義を感じている。「田野辺先生は『(受けた恩は)自分ではなくほかの人たちに返してくれればいい』と言ってくれる。だから子どもたちに教えることで恩を返したい」。和の魂は、米国でしっかり受け継がれている。

  • 田嶋 洋子 / ビジネスコンサルタント、サクセスコンサルタント

    2017年10月27日 さとみるくの Happy Life Style

    名前: 田嶋 洋子(Yoko Tajima) 職業: ビジネスコンサルタント、サクセスコンサルタント   ハマっていること: 日本文化を改めて勉強中です。   健康とキレイの秘訣:週3回のフィットネスと、月2回のマッサージ通い。朝のビーツ入りレッドスムージー。いつもポジティブでいること。   お気に入りの場所: ラグナビーチは、落ち着いた大人の雰囲気でリラックスできます。海の近くで育ったので海を見るとホッとします。   アメリカに来た理由: 主人の留学/研究のため。   尊敬する人: 両親。自分が歳をとるにつれて親の偉大さを身にしみて感じます。   最近感動したこと: お客様が会社で売り上げ日本一になったこと。日本の両親を呼んでラグナビーチのホテルで金婚式を祝えたこと。   夢:ラグナビーチと故郷の仙台に家を所有する。   メッセージ: Yoko Tajima ロサンゼルス初セミナーライブ 『あなたは、思うように集客できていますか?』 ~無理なく集客できる3ステップ!~ これから起業を目指す方、個人でサロンやクラスを開いている方、既に自分でビジネスを始められている方、企業に勤めているセールスの方まで、幅広く対応した内容です。 集客の秘訣、あなたから買いたくなる秘訣、正当な価格で販売できる秘訣など、基礎からさまざまなコツまでギュッと凝縮して伝授します!ぜひご参加下さい! 日時 : 11月18日 (土) 1pm 場所 : Miyako Hybrid Hotel 詳細・お申し込み : www.yokotajima.com