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  • 11/2 岡田博喜が米国第3戦 Dignity Health Sports Park

    2019年10月23日

    (Photo Credit: Mikey Williams / Top Rank)

  • LA世界戦を終えて。今、そしてこれから。  

    2019年09月25日 亀田和毅

    日本をはじめ、アメリカ、メキシコなど世界のボクシングファンが注目した、ボクシング、亀田和毅VSレイ・バルガス(メキシコ)の世界戦。7月初めにロサンゼルスで行われたこのビッグファイトは、判定で0―3、レイ・バルガスの勝利に終わった。   あれから約2ヶ月。日本で新たにトレーニングをスタートさせた亀田がLAでの世界戦、現在の心境、そしてファイターとしてのこれからについて語ってくれた。   「試合が終わって、やれる事は全てやったと思った。勝負で結果が出なかったのは悔しかったけど、今回の負けで気づいた部分がたくさんある。今は前回の反省点を活かせるように、次の試合のことを考えてる」     雪辱果たすべく挑んだ世界戦   バルガスとの初めての戦いは、12年前の2007年に遡る。16歳でメキシコに単身修行渡った亀田がメキシコでのアマチュア大会「グアンテス・デ・オロ(ゴールデングローブ)」バンタム級決勝戦でバルガスに敗北を喫した。   亀田はこの悔しさを片時も忘れることはなかった。そしてその雪辱を果たすべく臨んだ大一番では再び、双方共にプロボクサーとして、世界トップファイターとして向き合った。久々の戦いでバルガスのパワー、スピード、技術力を亀田は体全体でどう感じ取ったのか。   「バルガスは、完全に“勝つため”のスタイルを徹底してきたと思う。1ラウンド目にパンチが当たって2ラウンド目からの距離がとても遠くなった。ポイントを取るボクシングをバルガスはやってきたなと感じましたね。俺は、気持ちの強さ、相手にかけるプレッシャーを良く出せたと思う。倒せなかったけど、狙っていたパンチは当たった。ただ、一番パンチを打ちたかったタイミングでクリンチをされて、潰されてしまってやりづらかったのがある。もっと練習以上の対策が必要だったと思う」   

  • ”遊びの延長”で 仕事もエンジョイ カメラマン 飯田 麻人 Asato Iida  

    2019年09月18日 ロサンゼルスで暮らす人々

    当初の渡米目的はレコーディングエンジニアの勉強。しかし思いがけず趣味だった写真で食べていくようになった飯田麻人さん。「米国に来てから物事をフラットに考えられるようになった。日本のいいところも見えるようになり、今では感謝の気持ちでいっぱい」 (asatoiidaphoto.com)

  • LA世界戦を終えて。今、そしてこれから。  

    2019年09月12日 亀田和毅

    日本をはじめ、アメリカ、メキシコなど世界のボクシングファンが注目した、ボクシング、亀田和毅VSレイ・バルガス(メキシコ)の世界戦。7月初めにロサンゼルスで行われたこのビッグファイトは、判定で0―3、レイ・バルガスの勝利に終わった。   あれから約2ヶ月。日本で新たにトレーニングをスタートさせた亀田がLAでの世界戦、現在の心境、そしてファイターとしてのこれからについて語ってくれた。   「試合が終わって、やれる事は全てやったと思った。勝負で結果が出なかったのは悔しかったけど、今回の負けで気づいた部分がたくさんある。今は前回の反省点を活かせるように、次の試合のことを考えてる」   雪辱果たすべく挑んだ世界戦   バルガスとの初めての戦いは、12年前の2007年に遡る。16歳でメキシコに単身修行渡った亀田がメキシコでのアマチュア大会「グアンテス・デ・オロ(ゴールデングローブ)」バンタム級決勝戦でバルガスに敗北を喫した。   亀田はこの悔しさを片時も忘れることはなかった。そしてその雪辱を果たすべく臨んだ大一番では再び、双方共にプロボクサーとして、世界トップファイターとして向き合った。久々の戦いでバルガスのパワー、スピード、技術力を亀田は体全体でどう感じ取ったのか。   「バルガスは、完全に“勝つため”のスタイルを徹底してきたと思う。1ラウンド目にパンチが当たって2ラウンド目からの距離がとても遠くなった。ポイントを取るボクシングをバルガスはやってきたなと感じましたね。俺は、気持ちの強さ、相手にかけるプレッシャーを良く出せたと思う。倒せなかったけど、狙っていたパンチは当たった。ただ、一番パンチを打ちたかったタイミングでクリンチをされて、潰されてしまってやりづらかったのがある。もっと練習以上の対策が必要だったと思う」   

  • 自信と反骨心で世界王者目指す プロボクサー 岡田 博喜 / Hiroki Okada    

    2019年08月21日 ロサンゼルスで暮らす人々

    高校でインターハイ、国体の2冠を達成し、プロ入り後も日本Sライト級王座、WBOアジア・パシフィック同級王座を獲得など順調にキャリアを積み重ねる岡田博喜さん。米国大手ボクシングプロモーション、トップランク社と昨年8月に3年の契約を結んだ (Photo credit: 角海老宝石ボクシングジム)    

  • 癒しと笑顔を巻き込むフォトグラファー♥

    2019年07月30日 さとみるくの Happy Life Style

    名前:MICAFOTO(ミカフォト) 職業:Photographer ハマっていること:美術館巡り、御朱印集め(日本)。 健康とキレイの秘訣:ヨガ、ズンバ、キックボクシング(最近さぼりがち)美味しいものを食べる。 お気に入りの場所:Ojai,Joshua Tree レストランは Malibu Farm Cafe。 アメリカに来た理由:本場のエンターテイメントビジネスを学ぶため。 最近感動したこと:最近CLEAというファッションスクールで講師として授業させて頂いているのですが、若くてピュアな生徒さんが私の作ったミュージックビデオを観て泣いてくれた。 尊敬する人:自分を知り何かを極めている人。 夢:写真を通じて、たくさんの人を癒し、笑顔にする事。 メッセージ:写真が必要な方はお気軽にお問い合わせください。 www.micafoto.com

  • 灼熱のラスベガスでWBAウエルター級王座統一観戦

    2019年07月25日 亀田和毅

    俺はロサンゼルスに滞在して、その後は40度を超える灼熱のラスベガスに移動。7月20日にMGMグランドガーデンアリーナで行われたボクシング・WBA世界ウエルター級王座統一戦マニー・パッキャオ(フィリピン)対キース・サーマン(アメリカ)の試合観戦をした。   結果は、パッキャオがサーマンに2-1の判定で勝利、王座統一に成功した。   ボクシングの聖地、MGMグランドで世界戦の大一番を生で観ることができて、会場の客席からの大歓声やすごい熱気に感動したのはもちろん、パッキャオが大激戦でも屈することなく29戦無敗スーパー王者のサーマンにその強さを見せつけたこと。 それと、40歳という年齢で今も世界の第一戦で戦い続けていることに大きな刺激をもらって、自分も次に頑張ろうというエネルギーに繋げることができた。   その後は、奥さんとラスベガス観光を楽しみ、久しぶりにゆっくりと過ごすことができた。しっかりと充電して、頑張るぞ!  

  • 応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

    2019年07月16日 亀田和毅

    7月13日は、ロサンゼルスで俺の世界戦が行われた。今回は久しぶりの日本国外での試合だったにもかかわらず、LAやアメリカの他州から会場へ駆けつけてくださった方々、はるばる日本から来て応援してくださった方々、メキシコからもたくさんの方々に来ていただきました。DAZNの世界中継を観ていただいた方もたくさんいらっしゃると思います。 本当にありがとうございました!   俺は今回の試合が決定してから4ヶ月間できることをやり切り、準備万全の状態でリングに上がりました。そしてリングの上での12ラウンドで、自分が一アスリートとして長年培ってきた知識や技術、パワーを出し切り、また、ずっとやりたいと思っていたこと全てをやり切りました。   結果は出なかったけど、この負けをバネにしてもう一回這い上がっていきます。次にリングに上がる時は、さらに強い亀田和毅で戻ってきます。   試合のリング上でのインタビューでお伝えしたように、この経験により再び世界王者になって皆さんに恩返ししたいと思います。   本当にありがとうございました。そしてこれからも応援よろしくお願いします!

  • ボクシング・WBC世界スーパーバンタム級王座統一戦 レイ・バルガス VS 亀田和毅 白熱のファイトウイーク in ロサンゼルス 7/10~7/13  

    2019年07月16日 らららトピック

    夏日が続く7月の第二週目、7月13日に開催のボクシング・WBCスーパーバンタム級王座統一戦「Rey Vargas(メキシコ) VS Tomoki Kameda」をはじめ、他階級の試合も含めた全8組のファイトが行われるにあたり、会場周辺のカーソンシティでは熱いファイトウイークが繰り広げられた。   まずその週の水曜日7月10日を皮切りに連日、メディアやパブリックを招集してのスケジュールが組まれ、一日目はシャドーボクシングを披露するなど軽めの練習を公開した後に囲み取材、二日目には亀田選手と対戦相手であるバルガス選手が出席しての記者会見が行われ、亀田選手は「念願だったこの戦いに挑める好機を実現してくれたWBCと、ゴールデンボーイプロモーションに感謝しています。アメリカの地で、さらにアメリカ人とメキシコ人の多いロサンゼルスで試合ができることに、スーパーわくわくしています!この4ヶ月の厳しい練習と調整で、この上ないくらいコンディションはいい状態に準備できています」と話し、また対戦相手のバルガス選手に向かって「チャンプ!お前はチャンピオンか?お前はメキシコ人か?だったら、お互いチャンピオン同士、メキシコ人らしい面白い試合を思いっきりやろう!」と宣戦布告をし双方が激しい睨み合いで火花を散らした。   試合前日にはカーソンのダブルツリー・バイ・ヒルトンで計量が行われ、メディアや一般が見守る中、亀田選手は300グラムアンダーの55・0キロでクリアした。 7月12日は亀田選手の28歳の誕生日でもあり、計量前にはサプライズでメキシコの伝統民謡楽団マリアッチが登場し和やかな演奏で祝福ムードに包まれた。  

  • 今週土曜日 亀田和毅選手世界戦 アフターパーティ開催!  

    2019年07月11日

    今週土曜日7月13日にボクシング亀田和毅選手の世界戦がカーソンで行われる。らららのコラム連載でお馴染みの亀田選手の世界戦をこのロサンゼルスで観戦できる貴重なチャンス。   ボクシングファンのみならず、エキサイティングな生のファイトの魅力を存分に味わいたい人は会場に応援に行こう! 観戦チケット絶賛発売中(詳細:本誌P17)。   また世界戦後10pmごろよりアフターパーティをトーランスで開催(一人$25・1ドリンク付)。パーティの詳細・参加申込みは下記まで。   亀田和毅選手世界戦・アフターパーティ 参加申込み/info@lalalausa.com(Weekly LALALA)

  • 世界戦まであと1週間!    

    2019年07月05日 亀田和毅

    世界戦まであと1週間。俺はこの週末の間にLA入りして、そこから最終調整、計量、そして戦いの舞台に立ちます。 3月から続けてきたフィジカルトレーニングも先週で全て終了した。今回の試合に向けて、新たに鬼のフィジカルトレーナーと呼ばれる秀島正芳さんに指導してもらってからぐんとパワーアップした。 秀島さんは世界トップのボクシング選手や他のスポーツ選手をたくさんトレーニングしてきた名指導者。フィジカルのパワーだけじゃなく根性もついた。本当にしんどいトレーニングだったけど、そのぶんフィジカル面もメンタルも今までで一番成長した合宿だった。 これまでずっと積み重ねてきたトレーニングが自信になっているし、試合に対する不安や悪い緊張はまったくない。 今回ロサンゼルスで世界戦ができることは本当に嬉しいです。LAに住んでるたくさんの日本人応援団の皆さんが来てくれるのは心強い。 ボクシングの試合を会場で観るのは初めてという人も多いかもしれません。生のボクシングファイトの魅力を存分に味わってもらえるよう試合で力を発揮して勝利します!

  • 「勝利で恩返しを」 アマチュアボクサー 赤井 英五郎 / Eigoro Akai  

    2019年05月02日 ロサンゼルスで暮らす人々

     ロサンゼルスの大学を昨年卒業し、今回1年ぶりに戻ってきた赤井英五郎さん。東京五輪出場を目指すアマチュアボクサーだ。今夏行われる大会に向けた合宿のため、再びこの地を踏んだ。  小学校6年でハワイに留学。中学ではラグビー、ハイスクールではバスケットボールとアメリカンフットボールをプレーした。ボクシングを始めたのは、大学のためにLAに移ってからだ。ボクシングをやろうと思ったときに東京五輪が発表になり、「これも縁かな」と思ったという。「それまで興味はなかったけど、父が父だし。大学進学のときに今後の人生を考えたら、学業は後からでもできるけどスポーツは時間が限られていると思った」。  父は元プロボクサーの赤井英和。引退後は俳優として今もなお活躍中だ。「子どものころから父のことを言われて比べられて、それが嫌でやらなかった」というボクシング。しかし「どういうスポーツなんだろう」という気持ちが湧いてきた。実際にやってみると、その難しさを痛感。それまでやってきた競技とは体の使い方も違い、「パンチを受けるだけでも体力を使う。1対1だから自分の短所も自分でカバーしないといけないし、お互いをカバーし合えるチームメイトもいない」と、個人競技の厳しさを知った。  まずはアメリカで試合に出ようと考えたが、経験試合数の少ない選手が出場できるノービスクラスではミドル級の対戦相手がなかなか見つからず、3試合連続で流れてしまった。そこで「日本でやってみよう」と考え、大学を休学して帰国。地元関西で選手登録し、ようやく試合に出場することができた。2018年からは「他の選手たちはみんな、場数が違いすぎる。とにかく自分はグローブを着けている時間を増やしたい。みんなが1練習するなら自分は3やらないと勝てない」と、より選手の多い東京に移り、12月に4回目の出場で社会人全日本選手権を制した。  現在は、五輪を目指す理由をこう語る。「東京農業大学と帝拳ジムで練習させていただいて、恩返ししたいと思っている。そのためには試合で勝つことしかできない。五輪に出場して結果を残せれば、それ以上の恩返しはないと思っている」。どういうスポーツなんだろうという興味本位で始めたが、父の発言力は大きく、「メディアで自分の名前が出てしまったし、生半可な気持ちではできない。挑む覚悟にはプロでもアマでも差はない」と胸のうちを明かす。  日本、ハワイに次ぐ〝第三の故郷〟だというLAは、「ド素人でボクシングを始めた」赤井さんを真剣に受け止めてくれた。「帰ってきた感じがするし、息抜きになる」というこの街は夢への挑戦も支えてくれる。

  • アメリカで空手の 黒帯を取得したい!

    2019年04月04日 さとみるくの Happy Life Style

    名前: 環(Tamaki)   職業: 小学3年生(9歳)   ハマっている事: マインクラフト。ブロックを自由に設置して家や動物を作ること。   健康とキレイの秘訣: 筋トレ。懸垂10回できます。   お気に入りの場所: ハワイのAloha Table。店員さんがお花のネックレスをくれました。   最近感動したこと: 空手で優勝したこと(4回目の優勝です!)。   尊敬する人: 家族。嘘をつかない。   夢: 警察官。   メッセージ: アメリカに留学したら空手とボクシングをして、フルパワーで戦いたいです!

  • 「夢はMGM」 ボクシングトレーナー 西尾 誠 / Makoto Nishio  

    2019年03月28日 ロサンゼルスで暮らす人々

     「勝たせることがもちろん一番いい。でも、その過程にある選手とのコミュニケーションなどの、ストーリー性が一番僕は好きだなあと思ってやっていますね。いいときもあればぶつかり合うこともある。そういう関係を作っていくことが一番やりがいがある」。ボクシングトレーナー、西尾誠さんのことばだ。現在、数々の世界王者や世界ランカーを育てる名トレーナーのもとノアウォークのボクシングジムで学んでいる。「いろんなトレーナーがいるのでミット打ちだとかを見て研究したり、試合もたくさん見ます。ヒントはどこかに隠れている」。笑顔を絶やさず、選手を真摯にケアする姿が印象的だ。  ボクシングとの出会いは中学校3年のころ。当時プレーしていたサッカーで足を複雑骨折し、1年間競技から離れた。その後入ったクラブチームでは練習は毎日行われなかったため、興味本位に加えて体を鍛えようと、合間に近所のボクシングジムへ通うように。サッカーとボクシング、二足のわらじを履く生活は高校3年で終わる。ボクシングのプロテストとJリーグ大分トリニータのトライアウトのチャンスが同時に訪れ、ボクシングを選択したからだ。     高3の夏にプロテストに受かり、翌年プロデビュー。その後ジム移籍のため上京したが「東京の色に染まり、遊んでばかりで練習しなくなって」、24歳で引退した。地元福岡に戻り、働きながら趣味でボクシングを教える中、「トレーナー一本でやりたい気持ちはずっとあった」といい、縁があって東京のジムへ行くことになった32歳のときに仕事を辞め、再び上京した。「運だけでここまで来られた」と控えめに振り返る。  トレーナーとしては「勝てば選手の力、負ければトレーナーの責任」というスタンスを貫く。「選手ががんばっているから、指導者も身になるかわからなくても何か行動しないと」。そんな気持ちが、西尾さんを海外修行へ駆り立てる。  海外のジムで勉強するのは6年前のメキシコに始まり今回が4回目。LAは2回目となる。細かい技術的なことなど学ぶものは多く、今後も日本の選手やトレーナーが海外に行きやすいルートを作り、日米の架け橋になりたいのだという。 その一方で「違いはあるけど日本人も負けていない。日本人のいいところ、気持ちの強さや諦めない心、努力は本当に秀でている。視野を広げて経験を積めば絶対にもっと強くなれる」と、日本人ボクサーの可能性を力強く説く。いつかは日米墨を行き来できるトレーナーになりたいという西尾さんの夢は、ボクシングの聖地、ラスベガスのMGMのリングに立つ選手を育てることだ。

  • 「日系のこと残したい」 使命感持ち綴りゆく 作家・映像プロデューサー スティーブ 鮫島 / Steve Sameshima  

    2019年02月28日 ロサンゼルスで暮らす人々

     現在、作家として活動するスティーブ鮫島さんは、40年を超える在米中にさまざまな経歴を積み重ねてきた。渡米のきっかけは日本で勤務していたテレビ局の海外転勤。「もともとアメリカにあこがれがあった」という鮫島さんは派遣期間終了後もアメリカに残った。  その後独立し、ダイナミック・スポーツ・ネットワークを起業した。日本のテレビ局からの依頼でボクシング、ゴルフの全米オープン、プロレス、ローズボウルなどを米国から日本へ中継していた。また、当時はMLBのフランチャイズゲームはテレビで放送されていなかったため、LAドジャースへ加入したばかりの野茂英雄投手の登板日には、日系社会のためにとラジオで実況もした。さらに「世界に相撲を広めたい」という熱い気持ちから、大相撲協会の理事長に直談判。同協会およびテレビ朝日から権利を買い、ロサンゼルスの民間チャンネルを買ってLAとシカゴで『大相撲ダイジェスト』を10年に渡って放送した。「当時は若貴全盛期で、その人気に乗っかった(笑)」と振り返る。  学生時代はレスリング、ラグビー、野球をやっていただけに、根っからのスポーツ好き。しかしテレビ朝日の『大相撲ダイジェスト』が終わったことからLAでの放送も終了し、鮫島さんは自分の本来の目的であった「本を書く」ために出版社を設立した。「テレビの制作はそれなりに面白いが、テレビは一瞬、特にスポーツは。本は何回でも楽しめるし、形に残る」。家には本が6千冊ほどあるといい、資料を集めてボキャブラリーを増やす努力を惜しまない。  「50歳になれば50歳の、60歳になれば60歳の感性が生まれる。本はそれを形に残そうと思って書いている」という鮫島さん。在米のメリットを生かして調査し、足で稼いだ情報には「日本とアメリカの、まだまだ人に知られていないことがたくさんある」と明かす。過去に英字出版した、江戸中期の米沢藩主で第35代米国大統領のケネディが日本人で唯一尊敬したという上杉鷹山を取り上げた『The Great Tycoon Yozan』は米国の映画プロデューサーの目に止まり、映画化の話も出ているという。しかし「ありきたりのサムライ映画にはしたくない」と、あくまでも慎重。正しい日本の姿を伝えたいという気持ちがあるからだ。  若いときは日本をアメリカに知ってもらいたいという一心で、両国の橋渡しをするために活動していた。しかし、歳を重ねるにつれて「日系のことをアメリカに残していきたいと思うようになった」と自身の変化について語る。積み重ねてきた経験、自分の足で得てきた多くの知識は、今後も本に綴り続け後世の財産として残していく。

  • 「予定と違う」人生エンジョイ プロボクシングWBO 世界Sフェザー級王者 伊藤 雅雪 |Masayuki Ito  

    2018年12月20日 ロサンゼルスで暮らす人々

     伊藤雅雪さんが初めてロサンゼルスを訪れたのは4年ほど前。以来、試合前恒例の合宿地となった。今年3度目のキャンプとなる今回は約5週間半滞在し、12月30日の世界タイトル初防衛戦に向けて厳しいトレーニングに励んでいる。  「LAは気候も良くて人が優しい。僕もざっくりとしてるので米国人の気性が合います。LA、好きですねえ」。しかし朝10時からのジムワーク、夕方はロードワークやフィジカルトレーニングと、練習以外のことをする時間はない。「遊びで来てみたい」と笑うが、王座奪取後はテレビ出演など、ボクシング以外の活動が急増。「ほかのことをシャットアウトしてボクシングに向き合える環境がすごく大事。ここに来るとあらためて自分を見つめ直せる感覚がすごくある。だから、こっちのほうがナチュラルでいられますね。みんな人のことは気にしてない。それがすごいいいなあって」。  今年7月、フロリダで世界タイトルに挑戦した。「最初で最後のチャンス」と決死の覚悟で臨んだ一戦で、圧倒的不利の前評判を覆し日本人選手として37年ぶりに米国で世界のベルトを奪取した。快挙を成し遂げたという実感はないという。「自分に実力があるっていう感覚もない。世界チャンピオンの中で僕が一番かって言ったら絶対そんなことない。だから、強い選手を倒して、実力をっていうよりは乗り越えたこと、そのプロセスと結果を認めてもらいたい。そこは僕にとってはすごく大事なこと」と、王者らしからぬことを口にする。  18歳で始めたボクシングは9年目。興味本位で始めたが、「あれよあれよと、なぜか」タイトルを手中に収めていった。東日本新人王に始まり全日本新人王、WBC世界ユース王座、OPBF東洋太平洋王座、WBOアジア太平洋王座、そして今夏獲得したWBO世界Sフェザー級王座。今でもふと「自分の予定と違う人生になっちゃった(笑)」と、不思議に感じる瞬間がある。だが、7月の世界戦では試合中に成長を実感した。練習では結局できるようにならなかったことが、試合ではできた。「まだ伸びしろが自分にはあると思う。だから楽しい」と、想定外の人生をエンジョイしている。  ボクシングは「仕事であって仕事でない」という。いつ終わるのかわからないその競技性はよく理解している。「伊藤雅雪というボクサーのストーリーがどこで終わるのか。負け続けて辞めるのかもしれないし、勝って辞めるのかもしれない。それを見るのを楽しみにしている。人ができなかったことをやりたい」。次戦は日本で行われる平成最後のプロボクシングの試合。勝てば来春、米国での∨2戦が待っている。

  • 刺激求め米国挑戦へ  「わくわくすること好き」 俳優 野久保 直樹 |Naoki Nokubo  

    2018年11月01日 ロサンゼルスで暮らす人々

     芸能生活を始めて14年の野久保直樹さんは今夏、ロサンゼルスへやってきた。求めるは「挑戦」。10年前、NYに1カ月間滞在しとにかく数多くの舞台を鑑賞した。これが舞台に気持ちが向くきっかけとなり、この10年間で60本以上の舞台に出演してきた。その間にも、NYでの経験は海外へのあこがれという形で心の中を占めるようになっていった。  上京し下積み時代から合わせると早19年が経った今年、さらなる刺激を求める自分に気づいた。スケールの大きい海外作品や大好きなマーベル作品に出たいという目標が浮き彫りになった。第一線で自分を試し、そこで成長したいという思いは日に日に強まった。「俳優は一生やっていきたい。米国で活動するために必要な語学を身につければ、それはスキルとして残る。海外生活は人間的にも成長できるし幅は広い方がいい」。もともと好奇心旺盛な性格だ。「何かを学ぶなら少しでも上のレベルで学びたい」と向学心も高く、負けず嫌い。「子どものころから何でも一番じゃないと嫌だった。やりたいことやできないことに対して、とことん自分を追い詰める性格。役を演じるといろいろな課題が出てくる。それをこなせるようになれば自分のスキルになる」。俳優は達成できたときの喜びが大きい。「谷があるからこそやりがいもある」と情熱を燃やす。  演技メソッドが確立されている米国でのチャレンジは、必ず自分の将来のためになると考えた。渡米を決めてからは早かった。2カ月間で準備。東京のアパートも完全に引き払い、両親を説得し「覚悟を決めて」踏み切った。「こちらに来てあらためて、とんでもないところに足を踏み入れたなと思う。でもやってみなければ何も変わらない」。目標設定シートを作り、やるべきことが見えてきた。LAに来て人の優しさをあらためて感じ、ネガティブに考えることが減った。日本では人目を気にし、自分と人を比較もしていたが「人は〝Only one〟なんだと再確認した。人と比較しても意味がない。人のことは〝想う〟けど気にしなくなったら自分が楽になった。まだまだやらなきゃいけないことはたくさんある」。  アメリカは演技だけではなく、歌や踊り、アクションなどさまざまなジャンルにおけるスキルのレベルが異様なほどに高い。「こんな中に入ろうとしていると思うと探求心が出てくる。大丈夫かなとか、いろいろな感情が入り混じるほど刺激がある。わくわくすることは大好きだから」。人生には偶然はなく、すべては必然で起こっていると考える。だから「自分のやっていることに対して不安はない。人生半分以上がつらいことって言うけど、意味があると思えばそれはプラスになる」。自分を信じ、これからも挑戦し続ける。

  • 陸上一筋から拳一筋に ボクシングライター 宮田 有理子 |Yuriko Miyata  

    2018年10月18日 ロサンゼルスで暮らす人々

     中学から大学まで陸上一筋だった宮田有理子さん。「陸上競技マガジンをつくる人になりたい」と思っていた。大学卒業後、ベースボールマガジン社に入社。2年目に念願の陸上競技マガジン編集部に異動した。ところが現在はLA在住のボクシングライター。入社3年目にボクシングマガジン編集部へ異動となったのである。陸上からボクシングというあまりにも違う競技への転換。しかし「あまりにも知らなすぎて興味がわいた」と、当時を振り返る。  ボクシング初仕事は世界戦の物販手伝いだった。唯一観戦できたメインの試合で、リング上で繰り広げられる一対一の戦いの緊迫感に圧倒された。ボクシングの知識はまったくなかったが、会社がボクシングのメッカ、後楽園ホールのすぐ近くだったため、4回戦からメインまで観戦を重ね、自然に見る目は養われていった。「スポーツは人生の教科書。ボクサーは〝戦い〟の中で色々なことを教えてくれる。体格的に恵まれなくても飛びぬけた才能がなくても、己を知ることで自分にできる戦い方を手に入れられることも選手に教わった」。プロアマ問わず取材し、海外の試合のページも担当するようになると「アメリカのボクシングを見たい」と思い始めた。  フリーになった翌年の2004年、知人を訪ねてLAにやってきた。すぐに留学しようと決めた。「カリフォルニア州は全米でダントツにボクシングの興行数が多い。それにLAののんびりした空気が性に合った」。カレッジに2年半通い、ボクシング関係者とのつながりもできた。卒業後は日本へいったん戻ったが、「スポーツはボーダーレスだから日本にいる必要はない」と、2016年にLAへ完全移住した。「米国は各国の選手が本場のビッグチャンスを手に入れようとアンダードッグとしてリングに上がる。マニー・パッキャオは、そこからアメリカンドリームをつかめることを証明しました。夢を求めてやってくる選手の純情な野心にもものすごく惹かれる」。試合前はブーイングを浴びていた無名の外国人選手が、リングを下りればヒーローになっている。そんな場面を目の当たりにし、ここは力があれば成功できる場所だと実感している。  ライターとして日本では20年近くの経験がある宮田さんにとっても、〝ことば〟で伝えることは時にとても難しい。「劇的なボクシングというスポーツのすばらしさを伝え、表現できる書き手になりたいと思いますが、はなはだ力不足で日々修行です。まだ米国では超がつく新参者」と、いまだ向上心は失っていない。「ボクシングがとにかく近くにあり、何歳になってもなんでも始められる」LAにこれからも住み続け、ボクシングを書き続ける。そして、いつか米国伝統のボクシング専門誌『The Ring』に日本のストーリーを書くのが夢であり目標だ。

  • 限界の先を求めて プロボクシングWBC アジアヘビー級王者 樋高 リオ |Rio Hidaka  

    2018年08月16日 ロサンゼルスで暮らす人々

     〝強さ〟とは何か。それを問い続けているのは、プロボクサーの樋高リオさんだ。「強いって何なのかという問いがずっとあって。自分はまだわかってない。それを知りたいのかもしれない。弱い自分との戦いをしていて、本当に強いっていうのは何なのか、答えを探していますね」と、戦い続ける理由を語る。体格で劣る日本人には厳しい戦いと言われるボクシングのヘビー級。リオさんはその厳しい階級で、2016年からロサンゼルスを拠点とし、日本人初のヘビー級世界王者を目指している。  ボクシングに本格的に取り組み始めたのは25歳と遅い。当時の日本はKー1グランプリやPRIDEなど格闘技ブームの真っただ中。リオさんはひざの手術を終えたばかりだったこともあり、蹴りのないボクシングを始めた。しかし「ボクシングは本当に全然できなくて」。悔しさがきっかけで、いつのまにかのめり込んでいたという。2006年にはボクシングのためにオーストラリアへ。ニュージーランドでプロデビューし、5戦目からは日本で活動を開始した。その後、環境やモチベーションがともなわず引退も考えたが、「まだ自分はここまでじゃない」という思いは強かった。2014年から拠点をアジアへ移し、翌年、WBCアジアヘビー級タイトルを獲得。「アジアも獲ったしアメリカに行こう」と次のステップを踏み出した。  ロサンゼルスに実際来てから、実力社会を身をもって感じている。「ここでは本当に自分次第ですね」。渡米後2カ月でけがの不運に見舞われ、負傷続きでまだ試合に出場することはできていない。しかし4月から本格的に練習復帰を果たし、再スタートの準備を整えている。ヘビー級での戦いは「身体の強さというか、骨なのか、骨格なのか、筋肉量の違いなのか、大変さを感じる」といい、フィジカル強化のためにウェイトトレーニングのジムにも通う。しかし「トレーニング理論もアメリカのほうが進んでいるし、日本よりヘビー級ボクサーが多いのでトレーナーもヘビー級の選手について知識がある。学ぶことは多い」。スパーリングパートナーには困らないという大きなメリットもある。  リングの上で頼れるのは自分だけ。その分、自分自身が得られるものも多い。「ボクシングは本当に一人の勝負だから、自分に返ってくるものは大きい。それが欲しくてやっているということに尽きるかもしれないですね。勝ったときの喜びや壁を越えたときの喜びであったりとか、限界に挑戦というか。たどり着いたら新しい景色があって、そこからさらにまた上があって次の戦いに向かっていく。自分は目標と違うことに囚われてきたことがすごく多く、直接目標に向かうことができていなかった。自分の弱さに負け続けてきた。それを克服するには、日々戦いなんですよね、自分の中で。自分の限界もまだ見ていないから」。答え探しの戦いはこれから始まる。

  • 目指すは「世界王者が就職先」 プロボクサー 富岡 樹|Izuki Tomioka  

    2018年05月17日 ロサンゼルスで暮らす人々

     日本ボクシング界が今アツい。これまでの歴史上で浮き沈みはあったものの、昨年は9人が世界のベルトを奪取し、井上尚弥や村田諒太といった大スターも誕生。そして、ここLAにはその仲間入りを目指して厳しい練習に励む若き日本人ファイターがいる。  富岡樹さん、21歳。日本ライト級ユース初代王者(2度の防衛後ことし3月に返上)、日本Sフェザー2位、東洋太平洋13位のホープだ。日本を拠点に練習していたが、「本場で学びたい」とLAを訪れるようになった。汗を流すのはハリウッドにあるワイルドカード・ボクシング・クラブ。数々のチャンピオンを生み出してきた名門ジムである。  2つ上の従兄弟の影響を受け、11歳でボクシングを始めた。高校卒業間際には大学ボクシング部からの誘いもあったが「始めたときからプロになろうと思っていた」ため進学はせず。「プロ入り前に一度本場を体験したい」と、初めて訪米した先がLAだった。トレーナーと契約し、右も左も、ことばもわからない地で40日間ジムへ通った。帰国後、19歳でプロ入りすると3連勝。昨年8月には日本ユース王座(日本プロボクシング協会による要請で新設された24歳以下のA級ライセンス保持者で争うタイトル)決定戦に勝利し、初代ライト級王者に輝いた。  そのタイトル戦を控えていた昨年6月に再訪米した。以来、リベリア出身の元五輪代表サミー・スチュワート氏に師事。「足を使って距離を取ってパンチをもらわない、自分のやりたいボクシングとサミーのボクシングが合うんです」。先月、3度目の渡米を果たし、現在もジムでトレーニングを積みながら心身ともに鍛える日々を送る。「最初は空港から出るのにも何時間もかかったりして。たった1人でことばのわからないところに来たというのは、生活の上でもボクシングの面でも活きています。試合直前も、最後の一番の自信になるのは1人で米国に行って、世界レベルの強い選手とスパーリングをやってきたという部分ですね」。  人々が開放的でフレンドリーなLAが気に入っている。人目を気にせず過ごせる自由さも快適だ。「プロ入り前に初めて来て、プロになるからには世界チャンピオンになりたくて、そのためには本場のアメリカの空気を感じたいというのがあって。その本場の空気を感じられたのがLAでした」。  ボクシングを始めたときから、一番の目標は世界タイトル。「23歳までに」とする理由を「大学卒業して就職するぐらいの年には、と思って。就職先は世界チャンピオンと言えるようにしたい」と説明する。「いつかこっちで活躍できるような選手になるので、LAの皆さんにも応援していただきたいです」と話す笑顔の奥に、強い意思と自信がうかがえた。次戦は7月29日、大阪で東洋太平洋王座戦に挑む。