連載・コラム ロサンゼルスで暮らす人々

編集: Weekly LALALA - 2018年05月31日

神の愛を歌い継ぐ

クリスチャンアーティスト /シンガー& ソングライター

Asiahエイジア


 

 「伝えたいことがあるから歌っています。伝えたい根本にあるのは愛。人間の愛は変わりやすいものだけど、神様の愛は変わらない不変の愛。それは私自身の人生を通して感じてもいるし、その愛を歌い続けていきたい」。ロサンゼルス在住28年のAsiahさんは言う。肩書は「シンガー&ソングライター」に加えて「クリスチャンアーティスト」と名乗る。


 父は小坂忠、日本でデビュー50周年を迎えるシンガーソングライター。クリスチャンアーティストでも牧師でもある。母は音楽プロデューサー。音楽に囲まれた家庭環境もあって、子どものころから歌うことが好きだった。「両親が音楽活動をしていたし、それ(音楽)しか知らないから、私は。スタジオで育ったようなもので、音楽関係以外に何かなりたいとかなかった。音楽取ったらもう何も残ってないみたいな家族だから(笑)」。音楽以外にもう一つ、小坂家から切り離せないものが教会だ。家族がクリスチャンになるきっかけとなったのがAsiahさんだった。1歳半のとき、煮えたぎった鍋の中身をかぶってしまい、全身に大やけどを負った。クリスチャンだった母方の曾祖母に勧められるまま両親が教会に行くと、居合わせた見知らぬ人々がAsiahさんのために祈りを捧げてくれた。その1カ月後、医者も「医学的には説明できない」と驚くことが起こった。傷がすっかりきれいに治っていたのだ。これをきっかけに、大ステージで歌っていた父は華やかな舞台と決別し、第一線を退いて日本中の教会を回って歌うようになった。クリスチャンが人口の1%という日本では、草分け的な存在だ。その姿を見ながらスタジオと教会で育ってきたAsiahさんにとって、ミュージシャンでありクリスチャンであることはごく自然なことだった。


 そもそも、音楽と教会は切っても切れないもの。「アレサ・フランクリンやマライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストン。みんな教会で育って教会のクワイヤで音楽に触れて。教会というのは音楽のスタート地点。音楽なしには教会は成り立たない」。一般的に日本では『ゴスペル』というと、ブラックミュージックやブラッククワイヤを想像する人が多いだろう。しかし「音楽が演歌であれロックであれレゲエであれ、ジャンルがなんであっても内容が神のことを歌ったものはゴスペル」だという。「だから、私はR&Bとかの曲調で内容は神様の愛のことを歌っているけど、それもゴスペルの一つ」。自身にやけどの記憶はない。しかし、「日々ある小さなことで、神様っているんだなって私は思う。人の出会いとか、自然に起こってることじゃないなと思うことはたくさんある。たとえ小さな教会で20人しか聴衆がいなくても、その20人に私たち家族が経験した愛とか癒やしとかを伝えられたらいいじゃないかって。それがうちの家族のライフワーク」と語る。神の愛を歌い継ぐことで、人々が試練を乗り越えられるように、安心感を持てるように。そんな願いを胸に歌い続けている。

ロサンゼルス在住28年のシンガー&ソングライターでクリスチャンアーティストのAsiahさん。「神の不変の愛を伝えるために歌い続けたい」と話す。父は日本でデビュー50周年を迎える名アーティスト小坂忠。音楽一家に生まれ、教会で歌に触れながら育った。
Facebook公式ファンページは www.facebook.com/asiahfb/

 

「たとえ小さな教会で20人しか聴衆がいなくても、その20人に私たち家族が経験した愛とか癒やしとかを伝えられたらいい。それがうちの家族のライフワーク」。教会で父・小坂忠さんとデュエット。

現在はハウス・オブ・ブルースという会場で活動するゴスペルグループの一員として歌ったり、CDのために曲を書き溜めている。昨年は念願の父とのデュエットCDを日本でリリースした。

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  • 患者のために行動する

それが私のプロフェッショナル

Scripps Memorial Hospital La Jolla
心臓外科オペ室ナース


成相 麻子
Asako Nariai


 

 

    患者のために行動する それが私のプロフェッショナル Scripps Memorial Hospital La Jolla 心臓外科オペ室ナース 成相 麻子 Asako Nariai    

    2020年04月02日 ロサンゼルスで暮らす人々

    「心臓の手術は必ず一旦心臓をとめなければなりません。やるべきことがすべて終わって再び心臓が動き出す瞬間に立ち会うときが最もやりがいを感じるとき」冷静なやや低い語り口から繰り出される彼女の言葉には心を鷲掴みにされた。 がんの手術は機能を取り除く喪失であるのに対し、心臓は機能を回復させる手術。 「喪失ではなく回復だから好きなんです」なるほど。そんな風に世界が見えているのか。   成相麻子さんが医療の世界に進んだきっかけは「高校の保健の先生が個性的で面白かったから」卒業後は先生と同じ聖路加看護大学へ進学。看護大を出ると看護師・保健師の免許がとれ、保健師免許で産業保健師(民間企業勤務の保健師)として働くこともできる。 「それがわかった上で進学しました」しっかりした人だ。   卒業後は東京の虎の門病院に勤務した。12年在職したうち後半6年間は心臓外科オペ室(手術室)主任。 オペ室ではない他のフィールドに挑戦したいと思っていた矢先、夫の渡米が決まる。 「米国の医療現場で働けるというのは私にとってチャンスなのでは」前向きな彼女はそれを好機と捉えた。当時「キャリアを捨てることが恐くなかったのか」と尋ねたことがある。彼女の答えを忘れたことはない。 「12年かければこれだけのことが出来るという自信があった。日本を離れても努力すれば私はひとかどの人物になれると信じていました」   2016年渡米。彼女はその言葉通りの人生を突き進む。 子供を育てながら勉強し、2017年12月加州の看護師資格を取得。2019年9月からナーシングホーム(医療を受けられる介護施設)で働いた。 ずっとオペ室で働いてきた分、異世界だった。歯がない高齢者の言葉は分かりにくく、認知症患者は話の筋道がなく理解するのに苦労した。しかしこの時間が彼女の世界を広げる。「最初は不本意なフィールドでも経験を積むことは大事です」   同年12月に現在の職場Scripps Memorial Hospitalに転職。心臓外科オペ室のナースとして再び働き出した。毎日3~6件の開心手術を4部屋でまわす。   日米の医療現場の違いを聞いた。「患者に訴えられることもあるので、特にカウント・記録には気を使います。オリエンテーションでマスシューティングへの対応や興奮した攻撃的な患者家族への対応をロールプレイで学んだのはカルチャーショックでした」 オペ室の緊迫したなかでも敢えて空気を読まず言葉に出して確認する。「患者の安全のために一つずつのコミュニケーションが何より大切。だから流してしまった時は落ち込みます。患者のために行動できるかが私の存在意義ですから」   彼女を貫く信念はどこまでも真っ直ぐだ。その信念が今日も誰かを救っているんだろう。  

  • ママになっても
才能を活かしてほしい

マリンバ奏者

高田 直子

Naoko Takada
 


 

    ママになっても 才能を活かしてほしい マリンバ奏者 高田 直子 Naoko Takada    

    2020年03月26日 ロサンゼルスで暮らす人々

    ぽわん、ぽろん、ぽろろん。まるみを帯びた深い音色。スタジオに続く木製扉の前で耳を澄ませて立ち止まった。 マリンバという楽器をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろう。マリンバは、いわゆる木琴の一種。木琴の音は固く乾いた音であるのに対し、マリンバのそれはやわらかい。   マリンバ奏者の高田直子さんのスタジオを訪れた日は、空には雲ひとつなかった。開け放たれたドアの向こうにマリンバが見える。想像よりもずっと大きい。ビブラフォンもドラムもピアノもあった。光が注がれる楽器はどれも本当に神々しい。   マリンバはピアノよりも鍵盤数が多く感じたので尋ねてみると、すぐさまピアノの前に座り「そんなことないです。ほらね」と慣れた手つきで弾いてくれた。 なるほど、マリンバとピアノはまったく違う楽器にみえるが、考えてみれば同じ鍵盤打楽器だ。たたくことで音を出す。   出会いは8歳。母親と一緒に行った雛祭りコンサートだった。「最初は大きな家具だなって(笑)そこで聴いたのは『熊蜂の飛行』でした」 マリンバに出会ってしまった直子さんは「習いたい」と親に頼んだが、最初の頃は一時的なことだろうと相手にされなかった。けれども変わらぬ情熱に母親は「1回だけね」と約束して教室に連れて行ってくれた。   その1回が2回になり3回になった。そのうちに忘れるだろうと思った親の期待とは裏腹に、彼女の熱意は薄まるどころかどんどん増した。 父親は、新聞紙を切って音の出ない即席マリンバを作ってくれ、彼女はそれで練習した。 遂にマリンバを買ってもらったとき、あまりの嬉しさにマリンバの下で寝たほど。   先生についてめきめきと力をつけた彼女は、11歳で初めて舞台に立った。しかし中学の時に一度マリンバを辞めている。「舞台に立って以降は、周りからプロになるの?どうするの?と何度も聞かれ、それがすごく嫌だったんです」   早稲田大学の心理学科に進み、一年間の交換留学でカリフォルニア大学ノースリッジ校(CSUN)を訪れたことがその後の運命を大きく変える。早稲田を中退し、CSUNの音楽学科に編入し、再びマリンバと向き合う日々が始まったのだ。   「一日6時間、5年間集中すればプロになれる」と信じ、昼夜問わず練習に身を捧げた。 当時の自分の言葉をどう思うかと聞いたら「生意気だったと思います」と笑った。   2002年、ニューヨークで開かれたヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝したことを機にプロとして始動。「20代のときは仕事を選べなかったけど今は選ぶことができて幸せ。子供と過ごす時間が何より大事です」   交換留学初日に出会ったご主人との間には2人の可愛い子供がいる。「才能があるのに子育てでやめてしまう人を私はもったいないと思う。 ママになっても自分の才能を活かしてほしい」彼女の演奏に勇気をもらう理由がわかった気がした。  

  • 出会った瞬間、これだと思った

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ラッセル 知絵

Chie Russell


 

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    2020年03月18日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASP(ノースアメリカンサンドペインターズ協会)で講師資格を取得し、インストラクター、サンドアーティストとして活動するラッセル知絵さん。 連絡先:ラッセル知絵(サンドアーティスト) R.SandPaintingStudio@gmail.com 213-537-3957

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NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニア

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    2020年03月13日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニアの石松拓人さん。2012年に着陸した火星ローバー『キュリオシティ』のエンジニアリングモデルの前で。

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    2020年03月04日 ロサンゼルスで暮らす人々

    今年で創設55周年を迎える日本民謡「松豊会」の民謡歌手、小杉真リサさん。 photo by Albert Lien