連載・コラム ロサンゼルスで暮らす人々

編集: Weekly LALALA - 2019年10月09日

人の助けになりたい臨床から研究へ転換

UCLA医学部外科 形成外科・再建外科助教授

北郷 明成

Akishige Hokugo



 

口腔がんであごを失ってしまった患者に出会い、歯科医師から研究者の道へ進んだ北郷明成さん。現在はUCLAで研究所を運営しながら再生医療の研究、教育に携わる

日本では大学病院の口腔外科に勤務していた北郷明成さん。渡米から12年経った現在、UCLA医学部で再生医療の研究と教育に情熱を注ぐ。

今でも思い出すという口腔がん患者の存在が、北郷さんが臨床から研究へとキャリアをシフトするきっかけになり、そして今でも研究のモチベーションになっている。

 

大学病院で外科手術などを行なっていた当時、担当していた患者が口腔がんであごを取り去り、移植骨による再建手術を受けた。

がんの治療は抗がん剤や放射線、切除手術と段階を踏んで行われるが、放射線によって移植周囲の健康な組織もダメージを受けてしまうため、再建手術で移植した骨が生着せず機能しない場合がある。

「あごは人間にとって、コミュニケーションや生活で最も大事な部分。話す、食べるといったことが普通にできなくなると、QOL(クオリティ・オブ・ライフ、生活の質)が著しく低下する。そういう患者さんを見て、何とか助けてあげたい、それを打開できる研究はないか」と考えた北郷さんは、基礎研究への道へ進んだ。

そして京大再生医科学研究所で生体材料を用いた再生医療の研究に携わるようになると「失われた体の一部を再生する研究にのめり込んだ」と振り返る。

 

研究がより進んでいる米国へやってきたのは、2007年のこと。UCLAにて研究室を持つようになり、これまで「再生医療の枠でいろいろな成果を出すことができている」といい、講演会なども頻ぱんに行っている。

医学の道へ進んだのは、子どものころに通っていた「心が広くて、地域医療にすごく貢献している街の歯医者さん」にあこがれて。

歯学部に入り、当初は街の歯医者さんになるつもりで勉強に励んでいたが、臨床実習で出会った天才口腔外科医の手術を見てあこがれを抱き、口腔外科医の道を選択した。

 

「チャンスがあればその波に乗ろうといつも思っている。やった後悔よりやらなかった後悔のほうが大きいから」と話すように、フレキシブルに節目の決断を下してきた。

次から次へと出てくる新しいことを敏感にキャッチし、自分の研究とリンクさせることが大切な研究において、その柔軟な性格や考え方が存分に生きている。

 

研究の楽しさは「わからないことだらけの中で事象を組み立てた仮説が立証したとき」にあり、その達成感は大きい。

新しい発見があれば研究は進んでいくため、辞めたいと思ったことはないという。

「時間とお金をかけた研究がふいになったら辛いけれど、そんな中でも発見が何かあれば次につながる」と常にポジティブに捉え、真剣に研究と向き合う根幹にあるのは「人を助けたい。人の役に立ちたい」という強い気持ちだ。

「若い日本の学生には自分でアイデアを出せと言っている。日本はリーダーシップの養成が必要。将来チャンスがあればそれを実現して、日本の科学技術に貢献したい」

将来的には「日本の医学・歯学の高等教育に携わりたい」という。米国のPhDや研修医の教育システムを日本に取り入れたいと話す

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  • 患者のために行動する

それが私のプロフェッショナル

Scripps Memorial Hospital La Jolla
心臓外科オペ室ナース


成相 麻子
Asako Nariai


 

 

    患者のために行動する それが私のプロフェッショナル Scripps Memorial Hospital La Jolla 心臓外科オペ室ナース 成相 麻子 Asako Nariai    

    2020年04月02日 ロサンゼルスで暮らす人々

    「心臓の手術は必ず一旦心臓をとめなければなりません。やるべきことがすべて終わって再び心臓が動き出す瞬間に立ち会うときが最もやりがいを感じるとき」冷静なやや低い語り口から繰り出される彼女の言葉には心を鷲掴みにされた。 がんの手術は機能を取り除く喪失であるのに対し、心臓は機能を回復させる手術。 「喪失ではなく回復だから好きなんです」なるほど。そんな風に世界が見えているのか。   成相麻子さんが医療の世界に進んだきっかけは「高校の保健の先生が個性的で面白かったから」卒業後は先生と同じ聖路加看護大学へ進学。看護大を出ると看護師・保健師の免許がとれ、保健師免許で産業保健師(民間企業勤務の保健師)として働くこともできる。 「それがわかった上で進学しました」しっかりした人だ。   卒業後は東京の虎の門病院に勤務した。12年在職したうち後半6年間は心臓外科オペ室(手術室)主任。 オペ室ではない他のフィールドに挑戦したいと思っていた矢先、夫の渡米が決まる。 「米国の医療現場で働けるというのは私にとってチャンスなのでは」前向きな彼女はそれを好機と捉えた。当時「キャリアを捨てることが恐くなかったのか」と尋ねたことがある。彼女の答えを忘れたことはない。 「12年かければこれだけのことが出来るという自信があった。日本を離れても努力すれば私はひとかどの人物になれると信じていました」   2016年渡米。彼女はその言葉通りの人生を突き進む。 子供を育てながら勉強し、2017年12月加州の看護師資格を取得。2019年9月からナーシングホーム(医療を受けられる介護施設)で働いた。 ずっとオペ室で働いてきた分、異世界だった。歯がない高齢者の言葉は分かりにくく、認知症患者は話の筋道がなく理解するのに苦労した。しかしこの時間が彼女の世界を広げる。「最初は不本意なフィールドでも経験を積むことは大事です」   同年12月に現在の職場Scripps Memorial Hospitalに転職。心臓外科オペ室のナースとして再び働き出した。毎日3~6件の開心手術を4部屋でまわす。   日米の医療現場の違いを聞いた。「患者に訴えられることもあるので、特にカウント・記録には気を使います。オリエンテーションでマスシューティングへの対応や興奮した攻撃的な患者家族への対応をロールプレイで学んだのはカルチャーショックでした」 オペ室の緊迫したなかでも敢えて空気を読まず言葉に出して確認する。「患者の安全のために一つずつのコミュニケーションが何より大切。だから流してしまった時は落ち込みます。患者のために行動できるかが私の存在意義ですから」   彼女を貫く信念はどこまでも真っ直ぐだ。その信念が今日も誰かを救っているんだろう。  

  • ママになっても
才能を活かしてほしい

マリンバ奏者

高田 直子

Naoko Takada
 


 

    ママになっても 才能を活かしてほしい マリンバ奏者 高田 直子 Naoko Takada    

    2020年03月26日 ロサンゼルスで暮らす人々

    ぽわん、ぽろん、ぽろろん。まるみを帯びた深い音色。スタジオに続く木製扉の前で耳を澄ませて立ち止まった。 マリンバという楽器をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろう。マリンバは、いわゆる木琴の一種。木琴の音は固く乾いた音であるのに対し、マリンバのそれはやわらかい。   マリンバ奏者の高田直子さんのスタジオを訪れた日は、空には雲ひとつなかった。開け放たれたドアの向こうにマリンバが見える。想像よりもずっと大きい。ビブラフォンもドラムもピアノもあった。光が注がれる楽器はどれも本当に神々しい。   マリンバはピアノよりも鍵盤数が多く感じたので尋ねてみると、すぐさまピアノの前に座り「そんなことないです。ほらね」と慣れた手つきで弾いてくれた。 なるほど、マリンバとピアノはまったく違う楽器にみえるが、考えてみれば同じ鍵盤打楽器だ。たたくことで音を出す。   出会いは8歳。母親と一緒に行った雛祭りコンサートだった。「最初は大きな家具だなって(笑)そこで聴いたのは『熊蜂の飛行』でした」 マリンバに出会ってしまった直子さんは「習いたい」と親に頼んだが、最初の頃は一時的なことだろうと相手にされなかった。けれども変わらぬ情熱に母親は「1回だけね」と約束して教室に連れて行ってくれた。   その1回が2回になり3回になった。そのうちに忘れるだろうと思った親の期待とは裏腹に、彼女の熱意は薄まるどころかどんどん増した。 父親は、新聞紙を切って音の出ない即席マリンバを作ってくれ、彼女はそれで練習した。 遂にマリンバを買ってもらったとき、あまりの嬉しさにマリンバの下で寝たほど。   先生についてめきめきと力をつけた彼女は、11歳で初めて舞台に立った。しかし中学の時に一度マリンバを辞めている。「舞台に立って以降は、周りからプロになるの?どうするの?と何度も聞かれ、それがすごく嫌だったんです」   早稲田大学の心理学科に進み、一年間の交換留学でカリフォルニア大学ノースリッジ校(CSUN)を訪れたことがその後の運命を大きく変える。早稲田を中退し、CSUNの音楽学科に編入し、再びマリンバと向き合う日々が始まったのだ。   「一日6時間、5年間集中すればプロになれる」と信じ、昼夜問わず練習に身を捧げた。 当時の自分の言葉をどう思うかと聞いたら「生意気だったと思います」と笑った。   2002年、ニューヨークで開かれたヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝したことを機にプロとして始動。「20代のときは仕事を選べなかったけど今は選ぶことができて幸せ。子供と過ごす時間が何より大事です」   交換留学初日に出会ったご主人との間には2人の可愛い子供がいる。「才能があるのに子育てでやめてしまう人を私はもったいないと思う。 ママになっても自分の才能を活かしてほしい」彼女の演奏に勇気をもらう理由がわかった気がした。  

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    2020年03月18日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASP(ノースアメリカンサンドペインターズ協会)で講師資格を取得し、インストラクター、サンドアーティストとして活動するラッセル知絵さん。 連絡先:ラッセル知絵(サンドアーティスト) R.SandPaintingStudio@gmail.com 213-537-3957

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    2020年03月13日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニアの石松拓人さん。2012年に着陸した火星ローバー『キュリオシティ』のエンジニアリングモデルの前で。

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    2020年03月04日 ロサンゼルスで暮らす人々

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