連載・コラム ロサンゼルスで暮らす人々

編集: Weekly LALALA - 2019年10月02日

ハートこもるアナログ
デジタル時代に提供

デザイナー/Baum-kuchen経営者

高木 和可子

Wakako Takagi


 

トラベラーズノートへの一目惚れが起業のきっかけの一つという高木和可子さん。「日記を書くことは米国ではセルフケア。心を豊かにするセラピーでもある」。紙を大切にするコミュニティは小さいが、アナログにはデジタルにはない“ハート”がある

デジタル化が進み、人と人とのコミュニケーションもバーチャルで済んでしまう現代。ライフスタイルショップ『Baum-kuchen』を経営する高木和可子さんは「デジタルは確かに便利だけど、ハートの部分が足りない」と語る。

取り扱うのはトラベラーズノートブック、文房具、バッグ、お財布、手帳カバーなど〝アナログ〟なアイテムだが、販売は基本的にオンライン。週2日のみスタジオを兼ねたショップを開ける。

アナログな物を通じてデジタルを介し世界中とつながるのがBaum-kuchenだ。

 

高校生のとき家族で米国へ移住した高木さんは、「物作りの作業だけでなくアイデアを出すのも楽しい。

そのアイデアで使う人を幸せにできるのがうれしい」と高校卒業後にデザインの道へ。会社勤務、フリーランスを経て、2010年にBaum-kuchenを起ち上げた。長女出産1週間前のことだった。

ショップ名の由来は樹木の年輪をイメージしたドイツの伝統的なお菓子の名前。木が年輪を重ねていくように、長い時間を重ねてずっと使っていける物を提供したかった。

 

「大きな会社ではお客さま一人ひとりとの距離が遠くてニーズに応えるのが難しい。コミュニティとダイレクトにつながって、うれしいと思える瞬間をもっと作りたい」というコアコンセプトは9年経ったいまも変わらない。

起業当時はまさに世の中がデジタル化に傾きはじめた時代。それでも「ノートなどのアナログは絶対になくならない。大きくなくてもそれを大事にしているコミュニティを作りたい」という思いを貫いた。

 

人と人のつながりを大切にし、メーカーとも家族ぐるみで付き合い、お互いのことも商品のことも分かり合う。「自分がその商品を大好きだからこそ、お客さまにもその良さを話せる」。

お客さんに自宅のリビングルームに来てもらい、商品を見てもらう感覚だ。6年ほど前から取り組みはじめたオリジナル商品は夫婦二人三脚でデザイン。

夫のフリードさんは学校でデザインを教えるかたわら、Baum-kuchenを手伝う。

「どんなに忙しくても家族との時間を持って、自分の健康も整えないと、いい方に進めない」と考え、自宅にはテレビを置かず、夜はデザインやショップ、子育てなどあらゆることについてフリードさんと話す。

「たくさん話すことで、日々をデザインしている。行き詰まると感じることがなくて、なんでもデザインチャレンジになる」。

 

長女と一緒に生まれたBaum-kuchenは、家族と一緒に育ててきた大切な存在だ。「物を売るだけじゃなくて、物を通して人に幸せになってもらうためにがんばっている」と言うように、人生をデザインしながら込めるハートが、和可子さんのアイテムにいのちを宿らせている。

現在、スタッフは全6名。「次のステップに進めるかなと思うまではこのスケールで、できる限りちゃんと暖めて家族のようにわかりあえるぐらい大事にしてやっていきたい。増え過ぎたら心が行き届かなくなるから」

ポケットを付けたり手帳が財布になるなど、世界に一つのパーソナルアイテムを作れるBaum-kuchen。9年間、家族と一緒に大切に育ててきた

関連記事:その他のロサンゼルスで暮らす人々

  • 患者のために行動する

それが私のプロフェッショナル

Scripps Memorial Hospital La Jolla
心臓外科オペ室ナース


成相 麻子
Asako Nariai


 

 

    患者のために行動する それが私のプロフェッショナル Scripps Memorial Hospital La Jolla 心臓外科オペ室ナース 成相 麻子 Asako Nariai    

    2020年04月02日 ロサンゼルスで暮らす人々

    「心臓の手術は必ず一旦心臓をとめなければなりません。やるべきことがすべて終わって再び心臓が動き出す瞬間に立ち会うときが最もやりがいを感じるとき」冷静なやや低い語り口から繰り出される彼女の言葉には心を鷲掴みにされた。 がんの手術は機能を取り除く喪失であるのに対し、心臓は機能を回復させる手術。 「喪失ではなく回復だから好きなんです」なるほど。そんな風に世界が見えているのか。   成相麻子さんが医療の世界に進んだきっかけは「高校の保健の先生が個性的で面白かったから」卒業後は先生と同じ聖路加看護大学へ進学。看護大を出ると看護師・保健師の免許がとれ、保健師免許で産業保健師(民間企業勤務の保健師)として働くこともできる。 「それがわかった上で進学しました」しっかりした人だ。   卒業後は東京の虎の門病院に勤務した。12年在職したうち後半6年間は心臓外科オペ室(手術室)主任。 オペ室ではない他のフィールドに挑戦したいと思っていた矢先、夫の渡米が決まる。 「米国の医療現場で働けるというのは私にとってチャンスなのでは」前向きな彼女はそれを好機と捉えた。当時「キャリアを捨てることが恐くなかったのか」と尋ねたことがある。彼女の答えを忘れたことはない。 「12年かければこれだけのことが出来るという自信があった。日本を離れても努力すれば私はひとかどの人物になれると信じていました」   2016年渡米。彼女はその言葉通りの人生を突き進む。 子供を育てながら勉強し、2017年12月加州の看護師資格を取得。2019年9月からナーシングホーム(医療を受けられる介護施設)で働いた。 ずっとオペ室で働いてきた分、異世界だった。歯がない高齢者の言葉は分かりにくく、認知症患者は話の筋道がなく理解するのに苦労した。しかしこの時間が彼女の世界を広げる。「最初は不本意なフィールドでも経験を積むことは大事です」   同年12月に現在の職場Scripps Memorial Hospitalに転職。心臓外科オペ室のナースとして再び働き出した。毎日3~6件の開心手術を4部屋でまわす。   日米の医療現場の違いを聞いた。「患者に訴えられることもあるので、特にカウント・記録には気を使います。オリエンテーションでマスシューティングへの対応や興奮した攻撃的な患者家族への対応をロールプレイで学んだのはカルチャーショックでした」 オペ室の緊迫したなかでも敢えて空気を読まず言葉に出して確認する。「患者の安全のために一つずつのコミュニケーションが何より大切。だから流してしまった時は落ち込みます。患者のために行動できるかが私の存在意義ですから」   彼女を貫く信念はどこまでも真っ直ぐだ。その信念が今日も誰かを救っているんだろう。  

  • ママになっても
才能を活かしてほしい

マリンバ奏者

高田 直子

Naoko Takada
 


 

    ママになっても 才能を活かしてほしい マリンバ奏者 高田 直子 Naoko Takada    

    2020年03月26日 ロサンゼルスで暮らす人々

    ぽわん、ぽろん、ぽろろん。まるみを帯びた深い音色。スタジオに続く木製扉の前で耳を澄ませて立ち止まった。 マリンバという楽器をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろう。マリンバは、いわゆる木琴の一種。木琴の音は固く乾いた音であるのに対し、マリンバのそれはやわらかい。   マリンバ奏者の高田直子さんのスタジオを訪れた日は、空には雲ひとつなかった。開け放たれたドアの向こうにマリンバが見える。想像よりもずっと大きい。ビブラフォンもドラムもピアノもあった。光が注がれる楽器はどれも本当に神々しい。   マリンバはピアノよりも鍵盤数が多く感じたので尋ねてみると、すぐさまピアノの前に座り「そんなことないです。ほらね」と慣れた手つきで弾いてくれた。 なるほど、マリンバとピアノはまったく違う楽器にみえるが、考えてみれば同じ鍵盤打楽器だ。たたくことで音を出す。   出会いは8歳。母親と一緒に行った雛祭りコンサートだった。「最初は大きな家具だなって(笑)そこで聴いたのは『熊蜂の飛行』でした」 マリンバに出会ってしまった直子さんは「習いたい」と親に頼んだが、最初の頃は一時的なことだろうと相手にされなかった。けれども変わらぬ情熱に母親は「1回だけね」と約束して教室に連れて行ってくれた。   その1回が2回になり3回になった。そのうちに忘れるだろうと思った親の期待とは裏腹に、彼女の熱意は薄まるどころかどんどん増した。 父親は、新聞紙を切って音の出ない即席マリンバを作ってくれ、彼女はそれで練習した。 遂にマリンバを買ってもらったとき、あまりの嬉しさにマリンバの下で寝たほど。   先生についてめきめきと力をつけた彼女は、11歳で初めて舞台に立った。しかし中学の時に一度マリンバを辞めている。「舞台に立って以降は、周りからプロになるの?どうするの?と何度も聞かれ、それがすごく嫌だったんです」   早稲田大学の心理学科に進み、一年間の交換留学でカリフォルニア大学ノースリッジ校(CSUN)を訪れたことがその後の運命を大きく変える。早稲田を中退し、CSUNの音楽学科に編入し、再びマリンバと向き合う日々が始まったのだ。   「一日6時間、5年間集中すればプロになれる」と信じ、昼夜問わず練習に身を捧げた。 当時の自分の言葉をどう思うかと聞いたら「生意気だったと思います」と笑った。   2002年、ニューヨークで開かれたヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝したことを機にプロとして始動。「20代のときは仕事を選べなかったけど今は選ぶことができて幸せ。子供と過ごす時間が何より大事です」   交換留学初日に出会ったご主人との間には2人の可愛い子供がいる。「才能があるのに子育てでやめてしまう人を私はもったいないと思う。 ママになっても自分の才能を活かしてほしい」彼女の演奏に勇気をもらう理由がわかった気がした。  

  • 出会った瞬間、これだと思った

サンドアーティスト

ラッセル 知絵

Chie Russell


 

    出会った瞬間、これだと思った サンドアーティスト ラッセル 知絵 Chie Russell  

    2020年03月18日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASP(ノースアメリカンサンドペインターズ協会)で講師資格を取得し、インストラクター、サンドアーティストとして活動するラッセル知絵さん。 連絡先:ラッセル知絵(サンドアーティスト) R.SandPaintingStudio@gmail.com 213-537-3957

  • 途中でやめるのはいつだって自分

NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニア

石松 拓人

Takuto Ishimatsu



 

    途中でやめるのはいつだって自分 NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニア 石松 拓人 Takuto Ishimatsu  

    2020年03月13日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニアの石松拓人さん。2012年に着陸した火星ローバー『キュリオシティ』のエンジニアリングモデルの前で。

  • 民謡を通して、日本の美しさや日本の心を歌い継ぐ

民謡歌手

小杉 真リサ

Marisa Kosugi


 

    民謡を通して、日本の美しさや日本の心を歌い継ぐ 民謡歌手 小杉 真リサ Marisa Kosugi  

    2020年03月04日 ロサンゼルスで暮らす人々

    今年で創設55周年を迎える日本民謡「松豊会」の民謡歌手、小杉真リサさん。 photo by Albert Lien